日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

障害者の方がまともな就活をしている

 就職活動は様々なステップからなるが、なんだかどうでもいい夢やらやりがいやらを洗脳されたように語り、超人のようにふるまい、なんだかなんのために働くのかわからなくなっている人を多く見かける。そういう意味では障害者はそういったことをよく理解していると感じる。

 

 

自分にできること、できないことを理解している

 障害者向けの説明会では、よく出る質問として「自分はこれができないのだが、どうすればいいか」といった質問がよく出る。奴隷どもは大して努力もしない甘えと勘違いするだろうが、逆に言えばできることをきちんと認識しているのである。できることは全部からできないことを引けばわかるし、それがないならそもそも説明会なんか来ない。また、奴隷どもと違い、根性論は百害あって一利なしであることも理解している。得意なことは努力と感じずに自然に伸ばせる。逆に言えば、苦手なことを伸ばして平均まで伸ばそうとしても、それ自体苦しく時間がかかるもので、成果も芳しいものではない。つまり、根性自体そういった苦痛を与えるもので何の成果もないのである。

 

やりがいとかは何の役にも立たないことを理解している

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自称「健常者」(画像はイメージです)

 健常者とやらがたくさん来る説明会では、イケナイ薬でも服用したのか、目を輝かせてやりがいだの夢だの、そのためには超人にもなるし何もいらないと、とんでもないことを言い出すようになっている。しかし、障害者はそんなことは言わない。理由は簡単で、やりがいや夢など何の役にも立たないからだ。これらがあったとして苦手をすべて克服して超人になれるわけがないし、報酬がなくなったり、劣悪な労働環境になったりした場合でも生きれるようにはならない(普通に死ぬ)。逆に言えば、そんな状況にあるからこそ生きるためには何が必要で、その行動(ここではそこに就職することを指す)によりその条件を達成できるかを吟味することができるのである。

 

なんのために働いているか理解している

 先ほども書いたが、やりがいや夢があっても人間は生きられない。生きるためには金が必要だ。結局働くのもそのためでしかない。だからやりがいだの何の役に立たない割には経営者がしばしば悪用する言葉を使わないし、逆にNG質問とされる勤務条件や環境を聞き、そこに就職することで、心身的な健康を維持しながら生きるだけの金を稼げることができるかを一生懸命判定しようとしているのである。

 

「健常者」と呼ばれる方が障害なのでは

 こうやって俯瞰すれば、障害者はむしろ正常であると思えてくる。働く目的を理解し、そのためには何が必要で、自分は金と引き換えに何を提供できるかを考えることができているのである。一方で、「健常者」と呼ばれる人はよくわからないもので洗脳され、根性で超人になれると勘違いし、自分から犠牲になっていく。こう考えると健常者と呼ばれる人はそういったことを理解し考えることができる能力を欠如しており、そういう意味では「障害」のような気がしてくる。

ネット版ゴシップの論調

 ブラウザを開けば週刊誌電子版、まとめサイト、言論サイトといった様々な「ネット版ゴシップ」を見かける(特に日本版yahooで)。ここでは、こういった言説の特徴を述べていきたい。

 

 

 

韓国(たまに中国)叩き

 戦時中のことがあるのか、とにかく韓国を誹謗中傷する。戦時中あったことにせよ、今やっていることにせよ、自分のことは棚に上げて。*1批判しているかと思ったら根拠もなく、改善策も提起しないのでそうでもない。もう一度書くが批判として話したたず、ただの誹謗中傷の域を出ていない。そればかりでない。論点すり替えやこじつけを平気で行うのだ。前者としては、NEWSポストセブンのある記事であった、「TOEICの平均点は韓国が日本より高いが、研究力は日本の方が上だ」というものがある。「研究力」というのも何を基準にして語っているか、またいつまで上でいられるのか怪しい*2が、論点すり替えの話に戻そう。TOEICの平均点から考えられるReading,Listening能力*3や英語教育の先進性を言いたいのかと思ったらなぜか研究力の話に移った。そこには何のつながりもない。このように、なぜか異なる話題にシフトしているが、何のためだろうか。もしかして勝てるものがないから負け惜しみでもしているのだろうか。だとしたらダサい、ダサすぎる、ゴシップ頭。

 後者の例としては、以下のようなものがある。

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 みずほフィナンシャルグループ(TYO:8411およびNYSE:MFG)が9割の利益減に伴い赤字転落となった件であるが、これをなぜか韓国と結びつけ、生まれも育ちもれっきとした日本*4であるが、「韓国企業だから天罰が下った」などと無理やりこじつけるのである。他にも、ある芸能人がコカインを所持していたとして逮捕された件であるが、「コカインの吸入に韓国ウォン紙幣を用いていた。だから在日韓国人だ」などといい、韓国ウォン紙幣を使用したことの真偽や根拠も述べず、仮に使用したとしてそれと韓国人であることとの整合性を検証せずにこじつけている。このように、事実であることの検証なしもしくは無理やりでも結び付けられそうなものを見つけては韓国と無理やり関連させ、それらの関連性も検証せずに韓国のものといい、誹謗中傷の材料にするのである。こちらはさらに意図がわからない。悪いものは日本にはいません、すべて外がやったことです、という北朝鮮顔負けの洗脳のされっぷりの結果なのか、それともいつもは売国奴だと批判しておきながら実際は自分が日本のものを外国に売り渡す側だった、というオチなのか。

 

マイノリティ叩き

 主に障害者、貧困層生活保護受給者あたりに対する論調である。一見問題を提起しそれを多くの人に知ってもらい改善につながったら、という善意からと執筆者側は思っていそうであるが、まったく効果がないというか、むしろ叩き見下すだけで終わっている。問題提起はできるものの、せいぜい当事者の問題点を述べて、「解決は難しい」と締めて終わりか、その周りの「自称・善良な日本人」が感じる「苦悩」を建前にした差別意識を取り上げてそれを煽るものや、極端な例を挙げるがそれがレアケースであることを追記せず、あたかもそれが一般的であるかの如くミスリードさせるのである。

 具体例としては、生活保護の不正受給や多額にもらっている例が挙げられる。そもそも生活保護受給者自体が2%(受給資格者を母数としても20%)、支出額はGDPの0.5%に満たなず、さらにその中の前者は人数で考えても2%程度、合計金額で考えても0.5%以下にもかかわらず、*5そのレアケースばかりを取り上げようとする。*6他にも、「働かないのに月30万円もらって贅沢三昧」などとかなりのレアケース*7を取り上げて叩こうとするものがある。

 

奴隷根性の賛美

 これは、会社側に有利な論説のことを指す。一応会社側につくコンサルタント社会保険労務士といった者たちのポジショントークであるが、これも奴隷どものオナニーになる。具体的には、「イマドキの若者はなぜ定時に帰る」「イクメンは出世しない」「なぜ転勤を断る」という、会社からの理不尽に反発するものを非難する内容である。*8もともと契約外で、何のメリットもないから断っているだけだが、苦しいなら上に反発してそれを緩和させればいいものをなぜか同じ奴隷化、隠した(とみなすものに)責任転嫁してオナニーしてくる馬鹿な奴隷はこれを好き好んでみているようだ。そんなニーズがあるからこんな記事が出てくるのだろう。

 

おっさんのおっさんによるおっさんのためのゴシップだ

 まぁ、これらはどれも「おっさん」、すなわち大して実力も度胸もないから何も今の状況を改善しようと努力もできず、無茶な現状肯定と責任転嫁(弱いものいじめ含む)しかできず、年とプライドと妄想だけが無駄に大きくなった奴隷どもが主な読者なのだろう。それを理解しているのも同じことを考えている「おっさん」で、これらが傷のなめあいをしているというか、妄想オナニー大会絶賛開催中、というところなのだろう。まとめると、項目にもある通り、こういったゴシップは「おっさんのおっさんによるおっさんのための」メディアなのだろう。

*1:また、批判の根拠がそれ以上にありそうなアメリカはなぜか誹謗中傷しない。

*2:現在、韓国科学技術院(KAIST)が発表論文数では頭角を現しており、日本の研究力が高いといっていられなくなるのでは、ということ。

*3:総合的な英語能力を知りたいなら、TOEICは不向きである。TOEFL-iBT(ETS/iiBC)やIELTS(ブリティッシュ・カウンシル/日本英語検定協会)がよい。

*4:第一勧業銀行含む、日系の複数の銀行の合併による。

*5:生活保護は増えてないし、もっと大事なことは増えて何が悪い、ということ - 猿虎日記(さるとらにっき)

*6:勘違いしないでほしいが、不正受給を見逃せ、と主張しているのではない。

*7:これは、一等地に居住した片親家庭で、おまけに1級障害者手帳保有する子息が複数いる、というかなりのレアケースである。実際は1月10万円行くか行かないかである。

*8:たまに「課長島耕作」の作者が出てくる。まぁ、この漫画の主人公自体パワハラ上司なのだが。

いつでも学びなおしができるようになるべきだ

 得てして日本は大学は1度大学を卒業するとそのまま会社に勤めあげることが常識となっており、社会人博士などのごくわずかな例外を除き、大学に戻って勉強・研究することは一般的に認められていない。ここでは、そのような風潮に異議を唱えたい。

 

 

一般的な日本のキャリア観

 こんなニュースを見かけた。

this.kiji.is

 長年勤務したのち退職し、京大経済学部に入学し、ついに卒業ができたという。卒業後はそのまま大学院に進学するという。

 しかし、日本ではこのようなキャリアは認められにくい。なんでも大学を出たらすぐに、定年まで働け、さもなくば健康で文化的な生活は保障しない、と訳の分からない社会通念が通っている。

 

学び直しはあってよいはずだ

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 各研究者のおかげで学問は日々新しくなっている。このため、各々が大学で学んできたこととは異なる学説が優勢となっていることもあるので、通いなおしたとしても全く同じ内容で無駄であるとは限らない。自分が持っている知識は古く、常識ではなくなっていることも大いにありうる。また、学び終わってから時間がたつと知識を捨ててしまうことも考えられる。従って、教養としておくにしても実務につなげるにしても定期的な知識のアップデートとなるため、必要であるといえる。ましてや他の分野を学ぶ場合はなおさらだ。自分が学んでいない分野を、最新の状態で一から学び、一通りの知識を涵養できるのである。

 「大学での学問は実務に結び付かないので無駄」「知識は実務を通じて涵養できる」そう考える方もいるだろう。しかし、前者は本当にそうであるといえるだろうか。例えば研究職では大学で学んだことをそのまま生かしている。教職にしても同様だ。このように学問は何らかの形で実務に応用できる、すなわち結び付いているので、無駄ではない。後者については、確かに少しだけならばそうなのだが十分な知識は得られるとはいいがたい。ほとんど学問に関する知識のいらない操作だったり、業務中に雑用やらどうでもいい行事やらで知識を得る時間が減ってしまう。この状態で十分な知識を得ることはできないのである。従って、大学に戻り、十分な時間と環境を与えて学問に触れることが一番効果的に知識を涵養する方法なのである。

 

日本社会は学び直し勢の受け皿の用意を

 以上で述べたように、学問は実務に役立つものであり、決して無駄ではない。また、学問は定期的にアップデートされる以上こちらの知識もそれに追随する形でアップデートせねばならない。まぁ、古いAndroidスマホみたいに、頭の錆びた人間どもは知識のアップデートに対応できないんだろうけど。そんな馬鹿どもは置いておいて、知識のアップデートが完了したものはより新しく先端的な知識を実務に応用できるのであるから重宝すべきで、日本社会は彼らの受け皿を作り、産業発展に貢献できるようにすべきであろう。