日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

歴史に対する正しい向き合い方

 自分たちに都合の悪い歴史があると、いくら事実だとしても自虐史だの韓国の陰謀だのとイチャモンをつけて隠そうとする人がいる。こういった人はただ2ちゃんねるなどに書き込むネトウヨから有名人・政治家までいる。そこで、ここでは彼らを批判するとともに、正しい歴史との向き合い方を考えたい。

 

 

歴史は動かしようのない事実と認識する

 単刀直入に言えば、いくらそれが自分にとって都合が悪かろうと、すべて事実ということだ。

 

 家永教科書裁判でも問題となった731部隊など、言い出すと自虐史だなんだのと文句をつけたり、国家権力を用いてそれを無理やり隠そうとする輩がいるが、そんなことをしても歴史は変わらない。ただ隠す輩の本性が知れる、ということだけだ。

 

 例えば、先ほど挙げた731部隊を知っていますか?旧日本軍が東南アジアを占領下に置き、大量虐殺を働いたことを知ってますか?あるいは知ってても嘘だと思っていませんか?ということである。

 

 隠さず、都合の良いように捏造しようとも同じだ。もちろん、研究者への科研費を削減するなど、権力を用いてそのような見方を制限したとしても同じだ。せいぜい日本は歴史に真摯に向き合おうともせず、過去を隠すか、捏造する、あるいは無理やり正当化して反省せず開き直る最低な国家で、そうする国民は史上最低の人間だ、ということになるが。

 

 つまり、何をしようが歴史は変わらない。そうなったらどうすればいいか。答えは簡単で、それを受け入れるしか方法はない。後述するが、受け入れることで反省し、未来ではどうすればよいかを考える糧にするのである。

 

歴史を都合よく解釈しない

 「しっかり歴史をみているだろう!」という人に言うが、それは自分にとって都合の良いものだけではないですか?と問いたい。都合の悪いものも含めて歴史なのだから、それらに対してどう向き合っているか、といっておきたい。

 

 例えば、韓国併合が挙げられる。戦時中日本軍が韓国を侵略した話で、学会でも有力な説である。が、一部の評論家が最近になって「韓国併合で韓国は救われた」などと正当化しだしているのである。侵略されて韓国側はいい迷惑だというのに、これはいかがなものか。DV夫と何ら変わらない。

 

 このように、不利な歴史を隠すことが出来ないとわかると、突如として正当化しだすのも日本人の悪い癖といえよう。しかし、どう考えても正当化したところで無理がある。だましていられるのも時間の問題で、いずれメッキがはがれる。

 

 そうなるのであれば、初めから正当化などしない方がいい。現代のグローバルな倫理観に照らし合わせ、それに反するのであれば厳しく断罪する。当然自分はそのようなことを行わず、また礼賛や正当化は一切行わない。さらに、このようなことを再発させないためにはどうすればよいのかを考え実行する。

 

対立する2つの説があるなら自分に不利な方を信じる

 歴史学者の間で意見が対立するものもあるだろう。歴史は各人の思想が大いに反映されるので、その学者が官邸御用学者だったりネトウヨのような人ならば日本礼賛・韓国ヘイトメディアのようになり、批判すべきと考えているなら批判的な解釈になるだろう。

 

 このような場合、互いに矛盾する意見が共存する。ネトウヨのような人が論じていれば支離滅裂さがわかり簡単にどちらを信じてよいかわかるのだが、学者や書籍を著すような有名人の場合言っていることに反論がしづらいためどちらを信じていいかわからない。

 

 こういう時は、自分(というか日本)に対して不利になるような歴史を信じるべきだ。例えば先ほどの731部隊の例でいえば、「731部隊は本当だ」と「731部隊は嘘だ」では前者を信じる。また、神風特攻隊を例にとれば、「お国のためを思い多くの若者が命をささげた」でなく「本当は人生を謳歌したいのに、国家に強制されたうえ日本人特有の同調圧力により自爆テロをさせられた」と考えるべきだろう。

 

 なぜ不利な方を信じた方がよいのか?それは、自分に有利な方を信じても自己満足にしかならないためである。また、もし真実にもかかわらず不利なことを無視した場合、貴重な反省の機会を失うことになるためである。

 

 例えていえば自国礼賛は砂糖や化学調味料たっぷりのコーラ、後者は自然由来の青汁だ。つまり、前者は自分が気持ちよくなるだけで何の効果もないか、逆に自分が思い上がる原因になる。しかし後者は反省や進歩の機会を与えてくれる。

 

深く反省し未来につなげる

 以上、いくつか歴史への望ましい向き合い方を述べたが、自分に不利なものを含め歴史を受け止めさえすればそれでよいのではではない。深く反省するのだ。現代の倫理観に照らし合わせ、何がいけないのか、何が原因でこのようなことをしたのかを深く考察する。この時は、ヘイトビジネスに引っ掛からないよう、オフラインにして一人でじっくりと考えるのだ。

 

 そうして、原因がわかったら、これを防ぐためには、もし自分ならばどうすればよかったのかを考える。決して他人がどうこう、という結論にしない。未来に向け、それを起きないようにするには、万が一起きてしまった際はどのようにして止めるか、我々には何ができるかを考えるのだ。

 

歴史はあなたのプライドのためにあるのではありません

 さて、ここまで書いて、自虐史観だとか陰謀論だとかいうのは、結局反省もできないくせに無能なおっさんが、大きなものにすがりついて俺スゲーと自己満足したいからこんなことをしているのかな、と思った。だが、言っておく。歴史はあなたがオナニーをするためにあるのではない。深く反省し、未来への糧とするための道具だ。自分のプライドが許せないからといって勝手に歴史を隠したり、好き勝手にいじろうとするな。というか、いじれないのが歴史だといい加減認識しろ。もしよりよくしたいなら、他国をやっつけてやるとかどうにもならないなら周りを巻き込んで自滅してやるとか考えず、今努力して未来をよりよくすればいいのではないだろうか。

歴史的に考えるとはどういうことか

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戦争・平和・国際組織: 歴史的に考える

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安倍の言葉に騙されてはならない

 内閣総理大臣に就任し7年以上たつ人物・安倍晋三。彼は言葉巧みに国民を騙そうとしてくる。ここではその一部を紹介し、それを批判したい。

 

 

曖昧な言葉遣い

 事実を正確かつ厳密に言うと、どうしても現政権の問題が浮き彫りになる。そうなるとさすがに馬鹿な日本人も真実を知り、安倍政権に疑問を呈する。元々自民党というか安倍政権は、国民の馬鹿さ加減を利用して政権を続けているのだから、それを知られるか否かは死活問題だ。従って、彼らは事実を正確にあるいは厳密に言うことはない。その代わり、曖昧な言葉を使ってこちらを騙そうとしてくるのである。具体的には

「多様な働き方」

 これは、同一労働同一賃金や正規・非正規労働者間の格差があることに関して言い訳をしたものだ。もとはといえば自民党はこういった格差をなくすことを公約に掲げていたが、全くできていないのでこういい逃れたのである。

 

「新しい判断」

 公約が全く達成できなかったことを棚に上げているだけである。それを臨機応変に判断できたと勝手に判断し、またそれで国民を欺こうとしているのである。

 

「一億総活躍」

 「性別や年齢、障害・性的指向などにかかわらず誰もが健康で文化的な生活を送れるような働き方ができる」と感じられるだろう。だが、担当大臣ポストを新たに作ったにもかかわらず、全く効果がない。非正規は明日の生活もままならず、正社員は心身に重大な悪影響をもたらす労働をさせられている。それどころか、高度プロフェッショナル制度を制定した。この適用範囲を拡大されることは論を待たない。結局「一億総活躍」というのは「一億総奴隷」なのである。

 障害者や性的マイノリティの生活も改善したとは言えない。おまけに安倍は「カミングアウトしなくてもいい社会を作る」と、カミングアウトしたら社会的に抹殺するととれる発言をしている。

 

 これらの例は以下のツイートから引用した。

 

共通理解とは異なる言葉遣い

 我々になじみの深い言葉を使ってはいるが、我々とは異なる意味で使っているため、国民が勘違いしてしまうものである。これについては、いくつかの例を挙げ、過去に記事にした。

fuckjapaneseculture.hatenablog.com

 ここでは、一般的で程度の酷いもののみを取り上げたが、またまた安倍がとんでもないことを言った。

  「100年安心」

 年金のキャッチコピーで言われることである。これだけ聞くと、「100歳まで生きても十分暮らしが維持できるだけもらえる」とか「100年もらい続けても十分もらえる」あたりを想像するだろう。しかし、この言葉はまったく異なる意味で使われていた。実際は単にこの制度が100年もつだけという、極めて低レベルなものであった。そんなものは誰でもできる。ただ制度(名前)だけ作っておけば、あとは何もしなくてもいいのだから。極端な例、徴収制度だけ作って(第2の税金、という感じ)支給しない、なんてことでもこれが言えてしまうのである。

 

嘘つきが数字を使った例

 「数字はウソをつかないが、ウソつきは数字を使う」―――言わずと知れた数学の名言である。すなわち、数字そのものは事実を淡々と語るものであるが、その都合の良い部分だけ解釈する、あるいは無関係な情報を勝手に結びつけ、その相関関係から因果関係を勝手に捏造することなどを働くものが存在する、ということである。

 安倍の場合、有効求人倍率や株価、所得について語っていたが、いずれも嘘なので注意が必要だ。

 

 まず、有効求人倍率について考えよう。確かに有効求人倍率、つまり全企業の求人倍率は1倍を超し、総計では人手不足、ということにはなっている。しかし、これはあくまで平均でしかない。これを高くしている原因は、従業員数人程度の零細企業で、これだけの求人倍率は7倍以上である。こういった企業は競争に勝てる見込みは非常に少ない。従ってすぐに倒産する可能性が高い。また、法律で決まっていてもそうすると倒産するため残業代の支払いや残業の削減などを避けることや労基法順守が出来ない。よってここで働くことは心身上の問題につながる。先ほど述べた一億総活躍そのものであるが、こういう企業を提示され「ほら働き口があるんだから働けよ」というのは暴論である。なお、従業員5,000人以上のいわゆる大企業の求人倍率は0.3倍程度である。

 

 株価については、日経平均株価のことを指している。そもそも日経平均株価自体が日本企業の中で業績の特に良い東証一部からさらに厳選されて選ばれたブルーチップ225社であるので、日本全体の景気を表しているとはいいがたい。また、これも「平均」であるから、どこかの企業の株価だけを大幅に上げれば平均が吊り上がる。さらに、日銀がETFを大量買い付けしているため、それによって上がっているだけで実際に投資家が魅力的と思っているわけではない。実際、日本の株式市場は外国人投機家によるギャンブル性の強い相場となっている。

 

 所得については、ほんの一部の労働者の事例を取り上げていたにすぎない。確かに、賃金が上昇している労働者も存在する。ただし、数%程度である。それ以外は軒並み下落している。当然平均も大幅に下落している。しかし、安倍は「賃金は上がった」などとほざく。ここで注意したいのはこのセリフ、主体がないことだ。つまり誰のことかわからない。ただほんの一部のサンプルが上がっただけなのに、平均だとか大多数などとか考えてしまうと、コロっと騙される。

 

ウソつきは数字を使う (青春新書INTELLIGENCE)

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脅し・非難・被害妄想

 人を扇動する手段として、よくあるのが反対派を貶し脅したり、、あるいは自身は反対派に脅かされているかのような発言を繰り返しすることで同情を誘うものである。安倍の場合

「こんな人たち」

 演説周辺にいた反対派に対して発言したことである。大衆を扇動するために反対派を過度に貶している。また、「ボクは反対派に圧力をかけられている」という被害妄想をし国民の同情を誘おうとしている。

 

「悪夢の民主党政権

 選挙前になるとこのようなことを言う場面が増えた。民主党の方が円高で消費行動や海外への投資ができたり、実質賃金が高い。経済面以外でも報道の自由度が高く、メディアによる政府批判が容易にできていた。これ以外にもいろいろ良かった点はある。しかし、安倍政権はその真逆である。どこが悪夢といえるのだろうか。こちらの方が悪夢としか言えない。それより、自政権の良いところは言えないのだろうか。それが存在しないから下に置けるものを作って叩いているだけだろう。

 

「印象操作はやめていただきたい」

 党首討論で、選択的夫婦別姓を認める人は挙手しろ、といわれ挙手したのは安倍以外全員であった。そもそも夫婦別姓自体何の問題もないうえ、改姓した側の不利益を考えると別姓の方が合理的だ。したがってこれはどの党も賛成したのだが、自民党だけ反対ということだ。これで自民党は、様々な権利を認めない「古き良き日本」に執着していることがわかるのだが、それに対し言ったことがこの「印象操作はやめていただきたい」だ。言うまでもなく事実であり、この場で自民党の真実がわかっただけなのに、何が「印象操作」だ。

 

騙されるな、さもなくば身の危険が

 以上、安倍が今まで使ってきたセリフを内容の種類ごとにまとめた。このように文面にしてみて、ゆっくり考えてみると、論証に不十分な点があったり明らかに事実と反することを言っているとわかる。安倍の言うことと同じことを返すが、「こんな人」を総理大臣にしてよいのだろうか。日本の政治を任せてもよいのだろうか。

 

 また、安倍や自民党の人間は一見当たり障りのないことを言っているが、共謀罪に続き改憲からの自衛隊憲法明記をくわえ、石破幹事長に至っては徴兵制を肯定している。これは改憲に伴い、我々が戦地に赴き、殺し殺されの未来があることを示唆している。また、別の議員は「国民主権基本的人権・平和主義を廃止しなければ自主憲法とは言わない」などとこれらを破壊する意思があることを示している。従って、安倍の言うことに騙されて自民党すなわち安倍を支持するということは我々の命自体を危機にさらすものと考えられる。

 

もう一度問う。「こんな人たち」に政治を任せてもよいのだろうか。よく聞こう。よく考えよう。そこに答えはある。

教員に大会出場など要求するな

 中学・高等学校では、やたらと部活動に熱を入れていて、中には大会出場をさせるところも多く存在する。しかし、これは生徒にとっても教員にとっても悪影響でしかない。ここではその理由を考えたい。

 

 

なぜか学業より優先される部活動

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 多くの中学校・高等学校で存在する「部活動」。学業とは無関係で、給料が出ないので教員もやる必要はない。が、なぜか生徒側には入学時強制的にどこかしらの部活動に加入させられることとなっている。*1で、途中退部した場合、ただ部活動の中でやりたいことがなかっただけなのに、すぐに教員間に噂が広まり、なぜか周りから問題視され、また転部も簡単ではない。*2

 

 教員の側に立っても不可解だ。給料も出ないのに、「校務分掌」といわれ勝手に任される。おまけにその教員の知識や適性などほぼお構いなしで欠員が出たところに放り込まれる。このせいで教員はただですら教科指導で大変なのに部活動についても勉強しなければならなくなる。辞めた生徒は問題があるという偏見を押し付けられ、そういった生徒に指導しなければならなくなる。このせいで深夜帰宅が続き、過労死してしまった教員も存在する。

 

 さて、その部活の延長線上で、大会がある。全国・世界大会に出れるのはごく限られているが、地区予選くらいなら大体どの学校も出る。これに出ろとか、これで優勝しろとか、全国大会に出ろとかウルサイモンスターペアレンツのおかげで、やたらと部活動が大変になる。そのせいで生徒は授業中寝たり大会の日を公欠にしたりで学業がおろそかになり、教員は教材研究の時間が無くなったりこいつらの圧力のせいで実力の上がらない生徒にストレスや不安を感じて体罰に走ったり。学業の息抜きとしてゆるーくやるのが部活動のはずだが、なぜか学業より優先順位が高くなっている。

 

 このような状態は本来学校が教科指導を行うところという観点から不適当なものであり、生徒・教員ともに悪影響を及ぼしている。そこで、ここでは部活をゆるーくやり大会出場を目指さないことの利点を生徒・教員両方の視点から考える。

 

生徒は学業に集中できる

 そもそも本来は、学校は学問を提供するところであり、部活動はそのおまけというか学業の息抜きである。従って学問を究める気がないのなら去るべきで、また部活動が学業に優先していること自体がおかしな話だ。

 

 部活動が夜遅くまで続いていたり、朝早くの登校を強制されたせいで授業中寝たり考えがまとまらなくなったりするのは、そもそもその部活動自体に無理がある。部活動のせいで学業がおろそかになるのは本末転倒だ。学習指導要領で規定された「主体的に学びに向かう態度」などは達成できるはずはない。

 

 これは過酷な練習による疲労や睡眠不足が原因であるが、もしこの原因の部活がなければどうなるか。生徒は学業に向かうことが出来る。あるいは十分な休息の時間を設けることが出来る。これにより勉強のパフォーマンスがさらに高まるものと推測される。

 

 これ以外にも、生徒の健康を維持することも可能になる。ある高校では、甲子園に出るため過酷な練習を続け、結局肩を壊してしまった人もいる。けがは一生ものの負債だ。こういう過酷な練習をやめるだけでも健康も維持することが可能になる。

 

教員は過労にならずに済む

 教員の側にとっても、本来教科指導が仕事のはずの教員が部活のせいで教材研究・教科指導に充てることが出来る時間が少なくなったり、そのせいで休息ができなくなり過労死するのは大きな問題だ。

 

 そもそも教員は教科指導がメインなのであるから、部活はあくまでおまけ程度、あるいはそもそも担当しない、と断固拒否するくらいでないと教科指導や教材研究に十分な時間を割くことが出来ず、これらのクォリティも高いものとはならないであろう。

 

 同様に、いろいろ立て込んだせいで過労死するということは労働者の人権含む各権利を蹂躙しているとしか言えない。教師は聖職者でも奴隷でもない。一般の労働者である。従って定時の設定とその遵守や残業代の完全保障、有給・育児休暇といったあらゆる権利が保障されてしかるべきだ。もし部活動が労働者の権利を侵害するようならばそもそもそれは存在してはならず、即刻廃止すべきだ。廃止することにより教員の労働者としての生活が改善されるとなるととても良い効果といえるであろう。

 

正しい部活動の在り方

 ここでは、生徒の学業も教員の業務・生活を圧迫しないように、部活動のコンセプトを考える。一言でいうと「ゆるーくやる部活動」である。すべて生徒・教員の疲労を少なくし、彼らの本分に時間を当てられるようにする。

  • 開始・終了時間を定める。放課後の活動は、終業後から17:30まで、後片付け含めて17:45までには完全撤収できることを原則とする。また各人の十分な睡眠を確保するため、朝練習は絶対に行わない。参加欠席、遅刻早退は自由。また、これ以外の暗黙のもの含む強制参加活動が出現しないよう配慮すること。
  • 激しい運動など、生徒の健康を損なうことは行わない。
  • 基本的に大会は目指さないスタンス。みんなで楽しくやればいいや、くらいで。また、本来やりたかったことを十分やらせるため、1年に球拾いをさせるといった学年などによる差別は禁止する。
  • 加入、途中入部、転部、退部などはすべて自由で、容易にできること。また、これらを行ったことで学校内での身分や権利に影響がないようにする。
  • 基本的に生徒が自主的に組織し自主的に行うもの。教員はかかわらないか、希望する場合希望する部活指導に就け、かつその場に立ち会うだけでよい。希望教員がいない場合は外部の指導員を雇用すればよい。彼らは正規職員とする。*3

 

大会に出したい?なら個人で勝手にやれ

 「うちの子は全国大会・オリンピックに出させる!」「絶対優勝!」などと寝てもいないのに寝言を言うモンスターペアレンツに言っておく。そもそも教員はそこまでいかせるほどの指導能力がない場合がほとんどだ。また教員はそれ以外で忙しい。そんなことを頼むなら他を当たれ、といいたい。

 

 もし自分の子にそこまでの実力があると思うならプロテストでも受けさせたり、エリートアカデミーにでも入会させたらどうだ。そこには凄腕の指導者がいるから。それと、学業に優先してまでそういうことをやらせたいのなら、学校をやめさせろ。学校はそういうところじゃない。

 

 それと最後に。本当にあなたのお子さんはそれを望んでいますか?大して才能もないのにあなたたち毒親が強いるせいで神経をすり減らして過剰に努力しているだけかもしれませんよ?まずはあなたもお子さんも第三者と面談が必要です。一つはお子さんの意思を確認するためで、もう一つはあなたの狂った思考をカウンセリングするためです。

*1:一部では運動部に強制加入となっている場合もある。

*2:新入生は体験入部の後入部届提出で簡単に入部できるのに対し、それ以外の期間や上級生の入部を認めていなかったり、これらに該当する人は長期的な仮入部期間において入部可否を審査されることがある。日本の新卒一括採用に似ているが、話がそれるのでこれ以上は触れない。

*3:本来なら労働者の正規・非正規は廃止すべきものだが、ここではある前提で考える。