Fuck Japanese Culture!!!

最近各種メディアでは執拗な日本礼賛がブームとなっている。そこで、ここではあえて日本文化の問題点を取り上げ、それについての批判を行う。

「ほどほど働いてほどほどの生活」が許されない日本

 日本では、死ぬほど働くか底辺になるかの2択しかないことに息苦しさを感じる。

 

 

死ぬほど働くか?底辺になるか?

 また海外ニートさんのツイートを引用して始める。

 

 

  生活しようと思ったら金が要る。金を得るために一番容易に感ずる方法として労働があるが、ここ日本では労働はすべてに優先されるものという暴論(=労道)がまかり通っており、個人の都合はもちろんのこと、家族の都合や体調といったことも考慮されない。つまり死ぬ気で働け、休んでいいのは退職したときと死んだときだけだ、というわけである。なお、これについては、働いたことへの対価となる、生活の質については一切言及されていない。

 そこで、こんな生活は嫌だと考えたか、あるいは体調の悪化、家族の介護などといったやむを得ない事情で退職した、もしくはそもそもこの生活をはじめから受け入れなかったとする。すると何らかの就職をすることが絶望的に難しくなり、底辺の暮らしを受け入れざるを得なくなる可能性が急上昇する。

 つまり、死ぬほど働け(生活の質は保証するとは言っていない)、さもないと底辺(生きれるかどうかも保証できない)にする、と日本の社会は言っているわけだ。

 

 なぜ「ほどほど」が許されない?

 ほどほど働いてほどほど休む。*1このやり方は人間、いやすべての生き物だけでなく、機械にとっても自身の状態を良く保ち、またパフォーマンスを維持するために不可欠なものである。ほどほど休むことは労働者にとっても経営者にとってもwin-winの関係になるはずなのになぜか日本のクソ経営者どもは単純に

P=∫E(t)dt

ただし、Pはパフォーマンス、E(t)は時間あたり効率。*2

 

という式において、E(t)(以下E)が一定と考えているのか、時間を稼げばいいとしか考えていない。Eはそのときの労働者の心理によるもので、よっぽどなマゾヒスト奴隷でなければ、経験から予期される労働時間および実際のそれが短いほどEは増大するはずだ。*3結果労働時間を増やしたときよりPが大きい、なんてことも多々あるであろう。

 問題はそれだけではない。何を勘違いしたのかクソ経営者はEをとても高く見積もっており、労働者に長時間高いEを維持するよう要求する。長時間働かせたらEは著しく低下して当然だ。いや、それどころかマイナスになることもある。*4クソ経営者は労働者を何だと思っているのか?まさかいつまでたってもEが高いままの全能超人だと思っているのか?とりあえずそう思っているならお前らクソ経営者だけでやってろ、と言いたい。お前ができたからといって他ができるとは限らない。あと、お前ができたと思っているのはヒロポン飲んで幻覚見てたからだろ。それともう一つ。先ほどの説明から気がつくと思うが、一人あたりのPは上限があることにいい加減気づけ。こっちは何度も言っているが、どうしても生産量を上げたいなら、次の式をみて何をすればいいか考えろ。

W=ΣPn

Wは合計の生産量、Pnは労働者nのパフォーマンス。*5

 

*1:クソ経営者はこの「ほどほど」をとんでもなく長い時間で考えがちなので、労働者側が設定する必要があろう。

*2:E(t)が不変なほど短い時間間隔dtの中で、E(t)dtはその時間でのパフォーマンスを表す。∫は、これらを全時間について足しあわせ、全時間のパフォーマンスを求めたことに相当する。

*3:なんてったって仕事はクソなのだから、労働時間が短いほど楽しみが増え、早く労働を終わらせて帰ろうという気分になるので。

*4:ミスにより、成果を減らしてしまうことに対応する。

*5:Σも足しあわせるという意味だが、∫とは異なる。前者は離散的な数列で、後者は連続的な関数で用いる。