とかく日本は「男はこうあるべき」「女はこうせよ」というのが多く、それから外れたものが被る不利益といったら目に余るものがある。
事例から見る性差別の実態
ここでは、日本でよく見られる性差別の例を男女1つずつ、場面ごとに挙げてみる。なお、ここで示した以外にも事例はたくさんある。
出産・育児と労働の対立
男性の育児休暇
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最近この問題が表面化している。一応法律に基づくと男女どちらが育児をしようとも問題ないはずで、就業規則を参照しても男性の育児休暇を禁止するような文言は見当たらない。というわけでいざ子供が生まれたので取ろうとすると、なぜか同じ労働者であるはずの上司が止めてくる。なんだか「お前にとれるわけないだろう」とか「男なら仕事と子供どっちが大事だ」だと。結果男性の取得率は5%もない。なお、ここで示したニュースでは、それどころか勝手に降格させられた、という話である。
男だって子供の面倒は見れる。だが、子供の面倒は女が見るもの、という考え方がこれを邪魔する。
女性を邪魔者扱いする労働者
一方で、「子供を育てるもの」とされている女性のほうは育児休暇がとれるかというとそうではない。一応男性よりかは取りやすいものの、とったとたん謎の嫌がらせが始まる。しかもその犯人は同じ女性の労働者というのだから何が何だかわからない。
最近の例としては東京医大で女子受験生を一律減点した際、「女性医師はいらない」という声が漏れたが、それは医療現場に限ったことでない。女性は子供をもっていつか退職するから、あるいは子供を持っている人は勤務に穴をあけるから迷惑、ということらしい。結果不明瞭な基準で昇進を阻害されたり、自主退職を強要されたりする。*1もう一度書くが、こういって嫌がらせをしてくる人の中には同じ立場の女性が多くいるのである。なぜ…?
労働及び家事の主たる担当者について
もっとも最近は共働きが増えたとはいえ、まだまだ根強く残っている「男は仕事、女は家庭」という不文律。男が家事の担当者となる(専業主夫)となると、「ヒモ」として見られる。ちなみに「ヒモ」の意味は女を働かせ金品をみつがせている情夫のこと*2であり、専業主夫は「情夫」ではないし金品を貢がせる目的でそうしているわけでない場合が大半である。というか、ヒモってなにもしていないが寄生だけする人のことでしょ?専業主夫はきちんと家事をこなしているし、場合によっては自営業や個人投資家としてもうけを出しているよ?そこのところよく見ようか。
逆に女性が主な働き手となった場合、仮に出産するとなると先述の通りキャリアアップを阻害される。一方、子供を作らない決断をしたところで「女は産むのが仕事だろ。こんな年になって何しているんだ」ということになる。
求められる身なり
不潔でなければどのようにしても問題ないはずだ。しかし、たとえどのように美しくしていてもよくないものとされ、職場や学校では禁止されることがある。例えば、一般的に男性の長髪やスカートはよくないものとされる。もちろん学校や職場ではこれで行くとお叱りを受け矯正(という名の同質化)されることが多い。一方、建前自由な街に繰り出せばTwitterなどで無断で撮られた写真*3とともに「キモい人がいた」と書かれることは論を待たない。一応麻布高等学校などでこのような自由化が進んでいるが、それでもこの自由を行使するということはトランスジェンダーのカミングアウトとみなされ、何らかのいじめを受けることが多いだろう。
女性の場合は、高等学校までは化粧禁止であるものの、いきなり大学・会社員になると練習期間なしで化粧を強要される。顔を洗い歯を磨くなど、最低限不潔でなければ問題ないはずだ。しかし口紅やらアイシャドウやら「不潔にならないためのもの」から逸脱するものも「社会人の常識」とか「流行」として取り上げられ、これを行わないものは何らかの矯正をされるか、あるいは嫌がらせの対象になる。なんでも「アイツは自意識過剰なビッチ女」だとか言われて。
性差別の問題点
このように性差別を用いて社会から人を排斥することは、労働人口の減少ひいては経済の停滞につながるのではないかと懸念される。よく労働に関する人手不足や少子化が言われているが、これによって排斥された人間が死んでいくことでこれらの問題を助長しているのではないか。言い換えると、「アイツキモい」とか「アイツ邪魔」が差別を生み、それが経済的損失を産んでいるというわけだ。問題を声高に叫んでいる側が原因を作っていたというこれまた滑稽な話だ。問題を叫ぶのは勝手だし、原因が見えていないのか見えないふりをしているのかわからないが、それきちんと考察しましょうか。それを無視して問題だけを叫んでいるのは、解決する気がないのと同じだ。
性差別への改善案
解決法が2つある。まず穴をあける社員が邪魔だ、ということだが、これは穴を作ることに対する認識そのものを改める必要がある。確かに穴が開いてしまっては業務に影響が出るのだが、それは穴が開いては維持できないほど完璧にこだわりすぎているのが原因ではないか。穴が少しでも開いたら維持できなくなるのはそもそもその事業体のキャパシティを超えており、遂行ができないことを意味する。したがって、穴が開いても遂行に問題ないようなレベルの業務のみを発注するか、完成品の質を穴が開いても余裕をもって完成させられる程度のものに調整するべきである。あるいは、穴が開いた時のために補充要員を確保しておく。もちろんこの場合正常稼働時は余りとなるのだが、このような場合は全社員の負担が和らぐという利益につながる。また、穴が開いたときは目的通りその補充要員として動くことが可能である。
「あいつキモい」からくる差別を解消する方法はさらに難しい。多様性に寛容な社会になるべく、学校や会社では、その業務に関係のない規則や不文律を廃止していくことから始まる計画の策定が必要であろう。もしそれで差別や嫌がらせを受けた場合、その記録をとることを促す。また、もみ消される懸念が大いにあるので、組織内での相談はさせず、すぐに外部に出されるよう促すことが肝要ではないか。