労働者に必要な意識
働いていると、どうしてもマンネリ化してしまい、意識が低くなってしまう。そこで、ここでは労働者に必要な意識を改めて3つ取り上げ記す。
金をもらって働いているということを忘れるな
そのような職務が契約書に明記され、きちんと対価が別に支払われない場合はこのような雑用をする必要はありません。
労働者は金銭をもらっている。従って契約に定められた労働力は提供しなければならない。ただし、提供しなければならないのは「契約書に定められたことだけ」である。巷で言われる「プロ意識」についても発揮するのは「契約書に明記されたことだけ」でよい。決してプロ意識は何でも屋という意味ではない。特に、契約書にない事柄(雑用)や、無償あるいはこちらが自腹を切らなければいけないもの(サービス残業や各種行事)は労働ではないので毅然とした態度で断るべきである。また、日本の場合契約書には建前だけ「その他雑用」や「~など」といった言い回しで口約束でなく契約を交わしたように見せかけ、本音は無限定にやらせるふざけた会社が多数存在する。これでは契約書は形式上のみであり、労働契約が正常になされていないのと同義である。あくまで契約書には提供してほしい労務すべてを具体的に記述すべきである。書ききれないのはそもそも1人の労働者にやらせることができない量の労務である。
また、金を働いている以上、それに見合った労働をすべきである。これは、経営者や社畜が言うもの(無制限に働け、という意味)とは違う意味である。大した対価も払わないのに要求する労働力だけは大きい、というのは通らない。もらえる対価が小さいのであれば、提供する労働力も小さくてよい(遅く作業をする、細かいところの仕上がりは無視する、など)。もちろん、対価が大きいにしても提供できる労働力には限界があるので、無制限にしてよいわけではない。この場合でも、提供する労働力の上限を設定しておくべきである。先ほど「プロ意識」という言葉が出たが、これも給料によってその具合や、そもそもそれを発揮するか否かを変えていくべきである。なお、この対価の話は、労働者だけでなく会社側にも言える。高々数百円の対価で過剰な接客・サービスなどする必要はない。消費者のわがままにも答える*1必要はない。どうしても答える必要があるのなら、賃金上昇や労働時間短縮・人員増加といった労働環境改善を行い、それでも経営ができる価格設定にすればよい。
労働者という立場をわきまえろ
あくまで我々は労働者であり、経営者ではない。つまり、「経営者目線を持つ」必要はないし、将来独立するため個人・自主的に勉強するくらいならよいが、それを他の労働者に強制してはならない。つまり、経営者目線を持つのは当事者たる経営者のみでよい。同様に、仕事の振り分けといったマネジメント業務や事業の統括といった本来上司や経営者が行うべき業務を請け負う必要はない。先ほどと被る面があるが、もしそうしてほしいなら、上司や経営者レベルの報酬を支払われなければならない。よくあるダブルスタンダードとして「アルバイトには責任がないからそんな給料はあげられない」といいながら「アルバイトも責任を持て」と正社員並みの責任や能力を要求するが、これも無視してよい。対価が釣り合わないのだから当然である。
また、日系企業は勘違いしていることはまだあり、会社の所有物となるものや会社の命令で行われていることにかかる経費を従業員に対しこれを負担させようとする。その割には顧客から契約を取るなどして設けた利益はほとんどが会社のものとなる。場合によっては従業員の故意によらない損害を従業員に賠償させようとする。*2これでは不公平としか言いようがない。法律でも決まっていることであるが、会社の所有物のなるものもしくは会社の命令で行われていることへの経費およびそれによって生じた損害はすべて、会社すなわち経営者が負担しなければならない。したがって労働者はこれに対し一切の金銭を支払う必要はない。
経営者との関係を意識しろ
働くとはどういうことだろうか。それは、先ほども述べたとおり、「法律に従い対価となる金銭と引き換えに労働力を提供する取引」である。そこには丁稚奉公や奴隷制度のように上下関係はなく対等である。経営者側が不当に大きい労働力を要求してきた場合直ちに(こう書いたのは、「金は後で付いてくる」と言って忘れるふざけた経営者がいるためである)給与を引き上げるか要求された労働力を提供しない、という選択ができるし、業務時間以外(時間外や休日、退職後)ではなんの指示にも従う必要はない。社長の家が火事になろうが、退職後自分が使っていたマクロを削除して会社側が困っていても知ったことはないのである。
終わりに
以上では、洗脳されてしまった結果奴隷となってしまう日本の労働者が忘れてしまいがちな権利意識について述べた。なぜか日本の経営者(それになり切って自己満足する社畜含む)は「義務を果たしていないのに権利を主張するな」と言っているが、契約書に書かれた労働力を提供している時点で対価を受け取る、あるいは権利を行使するのに十分な義務を果たしている。つまり彼らの言う「義務」は契約にないことばかりであり、権利ばかり主張して義務を果たしていないのは経営者側だったというわけだ。そもそも権利はどこかのエライ人がお情けでくださっているものではない。われわれ及び先祖が戦い勝ち取ったものであるから、法で守られているのである。そう簡単に手放してよいものではない。どうか、この権利意識を忘れないでほしい。
あと、ふざけたことを言う経営者や社畜どもに言っておくが、そんなに義務を果たさせたいのなら自分はきちんと果たしているな?それと、そんなに無償で過酷な労働をしたいのなら会社なんて辞めてアフリカとか北朝鮮でボランティアでもしたら?金とか食べ物がなくても感謝だけされればそれだけで生きていけるんでしょ?
*1:こういった経営者がテレビ番組「好きか嫌いか言う時間」でいて、「残業しなければ日本の質は下がる」とほざいたそうだが、無理してまでやるのならやらずに質が下がればよい。
*2:例えば、アートコーポレーション(引越業)。もともとこの会社、基本給と労働時間から計算した時給もとんでもなく低いのだが、家具を破損するといった作業中の事故による損害を従業員に負担させた。結果、給与がマイナスとなってしまった従業員もいる。その従業員によると、退職した後も個人情報を保持し続け、毎月給料日になるとこの分を支払うよう督促状が来るという。