日本社会の疑問を考えるブログ

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「権利を主張する前に義務を果たせ」という人へ

 何らかの権利を主張すると「権利を主張する前に義務を果たせ」とのたまう馬鹿どもが日本には多くいる。そこで、当記事ではこの主張に疑問を示したい。

 

 

その「義務」はどんな義務ですか?

 まずこれを指摘しておきたい。「義務」といっても様々なものが存在する。例えば日本国憲法では納税などがあり、商取引においては金銭及び商品の受け渡し義務が存在する。前者では納めるべき税の種類やその金額が明確になっており、後者は取引の対象やその数量が明確になっている。しかし、「権利を果たす前に義務を果たせ」という人がさす「義務」に限って、ただ「義務」と表明するだけでその内容すなわち5W1Hが具体的に述べられていない。これでは義務の果たしようがない。もう一度言うが、義務を果たしていないあるいは果たそうとしていないのではない。その「義務」とやらがあまりに不明瞭なため履行に当たる準備(義務に含まれる行動を起こすための資材の準備など)ができず、履行が不可能になるのである。こういうと、「社会人としての義務」とか「国民としての義務」とか言う人がいるが、広範すぎて何を指すのか不明である。とりあえず、「何をどうすればいいのか」を明瞭にしてほしい。

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権利・義務関係のまとめ

 

その「義務」はどこまで果たせばよいのですか?

 次に、「義務」の量を規定しなければならない。前の項にも関係してくるが、義務の範囲や量を規定しない場合、無制限の義務を課し、いくら義務を果たしても不十分だ、ということになりかねないからである。となると、その義務には何の価値もなく、権利主張のための対価にも条件にもなりえない。つまり、彼らの言う「義務」というのは「てめぇには一生権利は主張させねぇから」ということになってしまう。従って、彼らの言うとおりにしていては義務だけ果たしても権利獲得などありえない。

 もし、それが意図であるならば、我々は従うことはできない。なぜなら、結果我々は権利を主張できなくなるからだ。ちょっとくらいは権利がなくなってもいいだろうと思われるかもしれないが、そういう態度をとると、奴らはつけあがる。制限対象とする権利を広げていき、最終的には生存権にも言及することは目に見えている。

 

なぜその「義務」を果たさねばならないのですか?

 これも重要な疑問である。なぜ、その義務を果たすことが権利取得につながるのか、である。義務の内容が不明瞭なままであるとその範囲が無制限となるばかりでなく、権利取得とは関係のない義務を果たすことになり、いつまでたっても目的の権利を獲得することができない。したがって、不明瞭な「義務」だと、義務と権利の間の関連性が判明せず、義務を果たすことの必要性が乏しいという結論になる。言い換えると、その義務を果たすことが権利を取得するのに必要であるよう法律でも契約でも定義されておらず、原理的にも必要条件たるものではない。また、天賦人権説で保障された生存権のように、履行が必要な義務が存在しないものもある。この場合はそもそも義務を果たせということ自体不適当であり、そのような権利を主張する際は義務の存在を否定するために提起する必要のある疑問であるためである。

 

やっぱり奴隷の思考ですか

 結局、義務義務言っているけど、本音は権利を取得してほしくないんでしょ?そりゃそうだよね。奴隷が権利を主張したら今までの支配構造が崩れる危険があるし、奴隷にしてみりゃ妬ましくて仕方がないんだから。

 が、我々は権利を主張する。なぜなら我々は奴隷でなく市民だからだ。…え?「そんなことだと国が亡びる」「天賦人権説は豊かな国だけの特権」?なんだよ、さっきまで日本は世界一豊かな国と言ってたくせに。矛盾してるな。その頭の悪い思考どうにかした方がいいよ?ま、今本音が出たみたいだけど、そんなことで滅びる国なら、とっと滅んでしまえ。そんな国に存在価値はない。