日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

いつでも学びなおしができるようになるべきだ

 得てして日本は大学は1度大学を卒業するとそのまま会社に勤めあげることが常識となっており、社会人博士などのごくわずかな例外を除き、大学に戻って勉強・研究することは一般的に認められていない。ここでは、そのような風潮に異議を唱えたい。

 

 

一般的な日本のキャリア観

 こんなニュースを見かけた。

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 長年勤務したのち退職し、京大経済学部に入学し、ついに卒業ができたという。卒業後はそのまま大学院に進学するという。

 しかし、日本ではこのようなキャリアは認められにくい。なんでも大学を出たらすぐに、定年まで働け、さもなくば健康で文化的な生活は保障しない、と訳の分からない社会通念が通っている。

 

学び直しはあってよいはずだ

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 各研究者のおかげで学問は日々新しくなっている。このため、各々が大学で学んできたこととは異なる学説が優勢となっていることもあるので、通いなおしたとしても全く同じ内容で無駄であるとは限らない。自分が持っている知識は古く、常識ではなくなっていることも大いにありうる。また、学び終わってから時間がたつと知識を捨ててしまうことも考えられる。従って、教養としておくにしても実務につなげるにしても定期的な知識のアップデートとなるため、必要であるといえる。ましてや他の分野を学ぶ場合はなおさらだ。自分が学んでいない分野を、最新の状態で一から学び、一通りの知識を涵養できるのである。

 「大学での学問は実務に結び付かないので無駄」「知識は実務を通じて涵養できる」そう考える方もいるだろう。しかし、前者は本当にそうであるといえるだろうか。例えば研究職では大学で学んだことをそのまま生かしている。教職にしても同様だ。このように学問は何らかの形で実務に応用できる、すなわち結び付いているので、無駄ではない。後者については、確かに少しだけならばそうなのだが十分な知識は得られるとはいいがたい。ほとんど学問に関する知識のいらない操作だったり、業務中に雑用やらどうでもいい行事やらで知識を得る時間が減ってしまう。この状態で十分な知識を得ることはできないのである。従って、大学に戻り、十分な時間と環境を与えて学問に触れることが一番効果的に知識を涵養する方法なのである。

 

日本社会は学び直し勢の受け皿の用意を

 以上で述べたように、学問は実務に役立つものであり、決して無駄ではない。また、学問は定期的にアップデートされる以上こちらの知識もそれに追随する形でアップデートせねばならない。まぁ、古いAndroidスマホみたいに、頭の錆びた人間どもは知識のアップデートに対応できないんだろうけど。そんな馬鹿どもは置いておいて、知識のアップデートが完了したものはより新しく先端的な知識を実務に応用できるのであるから重宝すべきで、日本社会は彼らの受け皿を作り、産業発展に貢献できるようにすべきであろう。