ついこの前まで、米国系外資系IT企業で約7カ月のインターンシップをしてきた。その経験から、息苦しい日本社会に勝る点を述べていきたい。
多様性がある
日本国憲法で保障されているにもかかわらず、なぜか日本社会では差別(当の加害者は「区別」だとかそっちこと差別だとか言い張るが)が生まれる。その対象として年齢や性別、性的指向などが挙げられる。しかし、ここではまず、アメリカ本社のCEOに以下のような署名をさせている。
あらゆる活動において、人種、国籍、性的指向、障害の有無や種類、性別、年齢で差別しない
平等や多様性が重要視される今、ごく当たり前のことであるが、あえてこれを署名の上徹底させることでそれを担保しようとしているわけだ。
実際、この文化はインターンシップ内ではっきり表れていた。例えば、何かと日本では目を付けられやすい年齢についてだが、普通に多様な年齢の方がいた。インターンシップというと学生のみのイメージが強いが、ここでは既卒の方も多くいた。一度は就職したものの価値観が合わず退職した人、博士後期課程単位取得満期退学*1の方、精神疾患の休養から復帰した人、実に様々だった(約1/3が既卒)。
ほかにも、男(女)は何をする者、という固定観念がないので、男も育児休暇を堂々ととることが出来るし、女だからお茶くみ、などと言う話にはならない。
これ以外の軸から見た多様性ももちろん担保されているが、だからと言ってどんなハンディキャップがあろうとも何の配慮もされないわけではない。根性だけでどうにかするか、何とか排除しようとする日系企業と異なり、自身のハンディキャップを説明し、必要な配慮を申し出ればその配慮を受けられる。
それはなぜだろうか。答えは簡単で、多くのbackgroundを持つ人がいるだけに過ぎない。閉塞的な日本社会のしきたりを強行しようとしたとき、おとなしく従ってくれる人しかいないわけではない。むしろそうしようとすれば多くの人に反発されるであろう。そして、被害妄想をこんな風に展開し、いずれは淘汰されるであろう。
「私にとって生活の充実とは仕事に熱中していることです。 ところがアメリカ人は自分の生活を第一とする。こういった考え方はどうもしっくりきません。日本人独特の仕事第一の価値観を彼らが理解しないばかりか、バカにしてくるのです」
「この間ちょっと用事があって、お願いするよ、と頼んだのです。 ところが『これから休み時間だから駄目』と言って席を立ってしまうのです。急いでいるからこそ頼むのをわかってくれないのですよね、アメリカ人は。どうしてこんなやつらと一緒に仕事をしなければならないのだろう」
「部下に話しかけてしたら『日本人って相手のプライバシーを気にしないのですね。でも私は、日本人ではありません。これから、部下に対しても話しかけるときはアポイントをとるようにしてください』 と嫌みを言われる始末です。しかも相手は二十代そこそこの女性ですよ」サービス残業 - ●日本人だけど、日本のここが嫌い●まとめwiki - アットウィキより。内容や趣旨を変えない範囲で、一部表記を変えてある。
変なしきたりがない
実際の現場にいる人に、どんな働き方がしたいか聞かれ、私は「あまり飲み会には出たくない」と答えた。日系では
「うーん、苦手なのはわかるけど出た方がいいと思うよ。とっても重要なことが聞けると思うし、あまりかかわらない人を知って仲よくなると思うよ」
「甘えるな!社会人としての常識だ!」(ネット上でよくある口調)
みたいのが返ってくるが、私が行ったところでは
「別に構わないよ。というか、飲み会に誘おうとすると露骨にイヤな顔をする人ばかりだし」
と来た。要するに、仕事とそうでないことの境界がはっきりしており、「賃金が出なければ仕事ではありません。つまり、こういう行事に従う必要はありません。しきたりなど知るか」といえるほど個人と組織を分けて考えられる人が多くいたわけだ。また、発達障害を持つ社員さんに同じことを聞くと、
「飲み会は有志が勝手にやっている。俺は参加しない」
という勢いだった。ちなみに、同プログラム内で、日系の客先企業に訪問する機会があったが、そこにいた発達障害を持つ社員さんは「苦痛だけど我慢して出るようにしている。何とか耐えるスキルをつけている」と、飲み会というしきたりに束縛されている様子だった。
日系では他にも変なしきたりがある。効率化できるからとツールを作成したらズル扱いされ、やたらと印鑑やら手書きといった前近代的なものに固執し、客も来ないときに気候も考慮せずにスーツを強制し、わざわざ台風直後の交通が混乱している時期であろうとも無理やり出社させる。しかし、私がいたところの場合、どんどん効率化ツールを導入し、資源の無駄になる紙や承認時の印鑑などは電子化されていた。さらに天候により堅苦しい背広を着なくて済み、客が来なければTシャツ+ジーンズ+スニーカーでもOKだった。もちろん台風の直後は在宅での勤務であった(というか、週2回は在宅勤務だった)。
問題を放置しない合理的思考
日本社会では、いくらそれが不合理で非効率、はたまた社会の構成員に害を与えるような仕組みやしきたりができていたとしても、そのコミュニティの長が積極的に変えようとしない場合や、その制度が長く続いている場合、制度が全く変わらない(そのうえ、奴隷根性の日本人はそれが正しい、改革は誤っている、と錯覚しだす)。逆に、コミュニティの長が決めたことであれば、いくらそれが不合理であろうとも、既存の条件での行動計画ができていてそれが実行されていてもそれに従うことになる。おまけに、それに疑問を持つ人へは、謎のハラスメントや(大概素人による、時に自称専門家による)「病理診断」が行われる。結局はいくら組織のトップが愚かでもそれに逆らえず腐敗していくわけだ。
が、外資系企業はそうではなかった。先ほどの項で示したような不合理な点、問題点などがあればそれを躊躇なく直訴し、解決に向かうための道筋を考え、それを実現していくわけだ。同様に、トップに対する批判は活発に行われ、トップや現在の問題点を批判したからといって病的な扱いやハラスメントはされない。
日本社会(日系企業)がクソなだけか
ここまで見ると、義務教育より反吐が出るほど体験した日本社会より外資系の価値観の方があっている気がした。いや、むしろこちらの方がスタンダードで、日本社会自体が異常である気もした。なぜこんな異常なのに、ここまで維持され、おまけに海外(海外支部)でも同じような調子で、スタンダードであるはずの現地人を異常者扱いしているのだろう。
異常だな、日本社会って。
*1:研究に関する単位と大学が定めた講義科目の単位をすべて修得できたが、論文や学会数の不足、博士論文審査落ちなどがあり、退学した人のこと。一般的な退学とは扱いが異なるらしい。