日本社会の疑問を考えるブログ

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「忖度」文化の面倒くささ

 日本には過剰に「忖度」を重んじる文化があり、それが非効率や面倒くささの原因となっている。

 

 

はじめに・「忖度」とは?

 安倍晋三が発したことでとても有名になった言葉である。意味としては以下のとおりである。

他人の気持ちを推し量ること。

  「他人の気持ちを推し量る」すなわち「他人が何を望んでいるのか(要望しているのか)を考えて思考・行動すること」である。しかし、日本人は「忖度」のし過ぎで明らかに面倒な文化を生んだり、事が進まなくなったりする。そこで、ここでは思い当たる例を取り挙げていく。

 

郵便の返信の面倒くささ

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 いまではあまり目にしなくなったが、「往復はがき」なるものや、現在の主流としては返信用封筒(はがき)なるものがある。ほかにも、宅配便の依頼者欄など、誰かが何かを送る場面では常にこのマナーが付きまとう。

 

 まず、有名なものに、「様(御中)」と「行」およびその取り消しが挙げられる。初めから「様」とか「行」だのと書いてあるというのに、わざわざそれらを消しては訂正する。逆に、郵便を出す側は経験上こういった訂正作業がなされるというのにあえてそのまま書いて送るという。*1

 おまけにこの訂正作業が1回で済まないこともある。返信用封筒(orはがき)の「様」を消して「行」とし、さらに相手がそれを消して「様」に戻す。インクの無駄というか、ただの二度手間である。

 

 次にあげられるのは、上の画像にある「出席・欠席」についてである。結婚式など招待状にこのようなものがあるが、選択の仕方からそのほか付け加えることまでいろいろ面倒なマナーとやらが存在する。*2まず、上記画像にあるような出欠連絡についてだが、なんでも「御出(欠)席」の「御」と、選択しない方の選択肢を消したうえで、さらに選択する方のうち、消していない部分を円で囲まなければいけないそうだ。次に、名前や住所など個人情報の欄についても、同じような作業をしなければいけないらしい。さらに、出欠を選択した後に、以下のように一言メッセージを付け加えることで、インクだらけで視認性に欠ける紙面にすることが日本の文化だという。

ご結婚おめでとうございます。喜んで

出席させていただきます。

御欠席

(後述する取り消し線の種類や、円での囲みは、はてなブログの機能上再現しておりません)

  

 これだけではない。上記に示した「取り消し線」についてもマナーとやらが存在するという。縦線、横線、斜線のどれを使うか、線の本数は、向きは…などと、どれで消そうが取り消していることや選択していないことは一目でわかるにもかかわらず、またもや意味のないマナーを作っているようだ。輪をかけてひどいのは、線でも駄目だとする「宗派」の人がいることだ。彼らにとっては「寿」や「松竹梅」で取り消しを入れるのが美しいと感じているらしい。もう一度書くが、それはインクの無駄であるし、何しろ手が痛くなるだけだ。

 

 このように、わざわざいろいろなことを付け加えるのは、インクの無駄であるし、手間がかかるだけである。わざわざそうしたとしても気持ちなど伝わるわけがない。「気持ち」など、読み手が勝手に勘違いするものであって、どう書こうが相手がどう思うかなど運次第でしかない。要するに、上記の例でいえば、ただ「出席」を選択しただけで喜ぶ人もいれば、例で挙げたまで無駄手間をかけたにもかかわらず、事務的に処理して終わり、なんて人もいるわけだ。

 

 その前に、そもそもこういった連絡にわざわざ書面を使うこと自体が非効率である。メールアドレスを知っていれば、そのメールあてにGoogleのアンケート機能にアクセスするURLを送れば、ワンクリックでそのページに移動し、すぐに回答して終わりである。メールアドレスを知っていない人についても、片道の郵便物にURLを書いておけば、返信用の封書やはがきはいらない。*3パソコンやスマートフォンを持っていなければ、近くの図書館やネットカフェにでも行けばよい。*4

 

やってほしい(したい)のか・そうじゃないのか

 例えば、混雑しており座席が埋まっている電車に乗っているとする。そこに、お年寄りの方が来たとする。席を譲ろうと思い声をかけた。すると、その方は

「いえいえ、あなたも大変でしょうし結構ですよ」

と言った。本来なら「あ、そうですかわかりました」で済むものだが、なんでも

「いや、こちらは元気(orすぐに降りる)なんで」

「いや、それでもあなたに悪いし…」

「いいからいいから」

「それならばお言葉に甘えて…」

と、何度も食い下がるのが常識だという。なお、勘違いする人のために補足しておくが、「あ、そうですかわかりました」といった場合、「席を譲らない」とは全く言っておらず、「相手方による申し出の拒否を受け入れた」に過ぎない。

 

 さらに例を2つ紹介しよう。ドイツに留学経験のある方が、道に迷った日本人に対し道案内の申し出をしている場面であるが、

「わたしも日本人ですけど、どうかしましたか?」
「助かりました! 道に迷っちゃって。○○を探してるんです」

「説明するのは大変なので、時間ありますし、一緒に行きますよ」
「え、いいですよ!」
「わたしは大丈夫ですよ」
「でもそんな、悪いですし」
「そうですか。(中略。経路を教えている)着けると良いですね」

日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ - 雨宮の迷走ニュース より。

  ちなみに、このあと、断った側は「おいて行かれた」と勝手に勘違いしていたとのことである。確かに、2行目と最終行だけであればおいて行かれた、というのも納得がゆく。しかし、十分に「一緒に行こうか」と親切に申し出をしているにもかかわらず、この日本人はそれを拒否したので、その意向を尊重しただけである。これからわかるのは、この日本人は「確かに断りはしたが、こちらが思っていることぐらい察して当然」と思っているものと考えられる。

 

 最後の例として、「こちらが思っていることぐらい察して」についてであるが、

「やる気がないなら帰れ」

これに対する反応が日本の没落を表してる。
言ったほうが求めてんのは「イヤです!」→「ダメだ帰れ!」みたいに続いて最後に「次は無いぞ!」っていう流れ。
なのに今の若い奴は「わかりました。帰ります」 そうじゃないでしょ。
こういうのがブラック企業を生むみたいな反論もあると思う。
でもこういう理不尽から逃げると世の中はどんどん弱くなっちまうぞ。

やる気がないなら帰れ より。

 

 これらは以下のように要約できる。

 してほしい(したい)ことのある日本人Aがおり、それを満足させる行動の申し出をする人Bが現れた。Aは初めは申し出を拒否する、あるいは心にもないことや、自身の希望とは異なることを言う。*5しかし、Bがそれでも食い下がって、何度もアプローチした結果、Aはその申し出を受け入れた。

 

 この状況に持ち込む、あるいはこのように事を進めることを、日本人は当然で、逆に言葉通りに拒否の意向を受け入れることは、支援を必要とする人を見捨てる冷酷な行為であると考えている。

  ということであるが、これは言葉本来の機能を無視し、本来それに存在しない役割を期待するあるいは存在すると勘違いしているに過ぎない。本来言語はそれが辞書的に持つ意味を伝えるためのものにすぎず、それ以上の役割はない。ましてや、無関係なことを言えば、それが意思表示になるし、正反対のことを言えば相手はそれを認識するだけである。また、サイコ・ロックも「みぬく」もココロスコープもないのに、人の心など読むことはできない。拒否を表す言葉が実際に拒否の意思を示していることもある。となると、一番手っ取り早いのは勝手に相手の気持ちとやらを妄想して、自分は超能力だと浮かれるのではなく、言葉通りに解釈することである。言い換えると、本人がどう思っているかにかかわらず、言った側はその通りの希望を表明したことになり、その通りの対応を受け入れなければならない。要するに、言った側は言ったことに責任を持て、ということである。

 

そして跋扈する「マナー講師」

 ここで挙げた以外にも、「手紙(履歴書含む)は全て手書きで、書き損じが全くないものこそ誠意が伝わる」や「酒の猪口は口で注ぐな(or瓶のラベルを上にしろ)」など色々わけのわからないマナーがある。

 

 そこに目を付けたのが、最近批判されている「マナー講師」である。彼らは何の合理性もない、場合によっては何の根拠もない、あるいは存在すらしていないものを、勝手に捏造してはそれを広める。こうすることで、何の意味のないマナーが生まれては人々の生活を束縛しているのである。息苦しいったらありゃしない。

 

 要するに、彼らのビジネスは嘘情報を売ることである。

 

意思表示ははっきりと簡潔、そして直ちに

 以上、日本の忖度文化によってさまざまなプロセスが複雑怪奇かつ不合理になっている例を挙げた。いくら手間をかけて装飾しようと、言葉が本来持たない意味を含ませようとしても、相手にそれが通じるかどうか、あるいは自身の予想が正解であるかどうかは別問題である。となると、そもそもこれらを行うこと自体がナンセンスである。したがって、意思表示をするときは以下を心掛けるべきであろう。そうすれば様々なプロセスが効率・合理化され、しなくてもよいことをしなくて済むであろう。

(1)はっきりと:自身が伝えたいことを余さず正確に言語情報として発信する。

(2)簡潔に:言語情報や、それを用いる人間に辞書的な意味以外を期待しない。また、手間をかけてまで複雑な行為をしない。それと、それらを「美しい行為」だと勘違いしない。

(3)直ちに:思っているだけでは伝わらず、相手が忙しいこともある。そこで、言いたいことがまとまったら、すぐに発信する。

*1:この手間を考えてか、初めから返信用封筒の宛先に「御中」と印字してあるものもある。例えば、筑波大の2次試験願書用封筒など。

*2:ここでは、Twitterなどでたびたび話題になる、これらを絵画(主にアニメキャラクターの2次創作イラスト)で装飾するプロセスを含むものについては扱わない。

*3:知らない人がいたずらでフォームに入力してしまうことも考えられる。この場合は、封書にして簡単に見えないようにするか、パスワードもしくはそのヒントを同封し、フォームに入力させることで招待客の入力と判別する方法がある。ただ、どんな方法だろうと、はがきを使う時点で悪用のリスクを受け入れているようなものだが。

*4:それに対して気持ちだなんだと騒ぐ人は、そもそも招待されたようなところにすら行けないか、ただ自分が技術を使いこなせないのを隠したいだけだと思われる。

*5:ちなみに、恋愛に関係した場面でこれが起こった場合、それがギャルゲーでおなじみの「ツンデレ」である。