Fuck Japanese Culture!!!

最近各種メディアでは執拗な日本礼賛がブームとなっている。そこで、ここではあえて日本文化の問題点を取り上げ、それについての批判を行う。

遅れてるねぇ日系企業はw

 日本に支社を出す外資系企業が次々と働きやすい環境を整備していくのに対し、まったく日系企業は手を付けない。

 

 

日本マイクロソフトの快進撃

www.asahi.com

 日本マイクロソフト株式会社は、通常は完全*1週休2日制だったものを、2019年8月に限り週休3日にするという。それだけでなく、来年8月も同様の取り組みをしていく予定であるという。この休暇のことを「特別有給休暇」と呼ぶらしいが、当然これは通常の有給休暇とは別である。有給休暇義務化にともない休日を無理やり出勤日とみなす詐欺師集団ばかりの日系企業とは大違いだ。

 なお、外資系企業の日本法人のうち、このような働きやすい環境づくりを目指しているのはここだけでない。例えば日本IBMは、在宅勤務や時短勤務を中心とした働き方ができる。このように働きやすい環境づくりをしているのはIT企業だけではない。名前は忘れたが、神戸の外資系製薬会社の担当者は、残業の有無について聞いたところ「させるわけないだろう、残業代がもったいない」と述べていた。

 外資系企業は定時退社や有給完全(あるいは大半)消化は当たり前、年齢性別・人種や性的志向・障害の有無などで差別せず、何と言っても男性が堂々と育児休暇を取れる。

 

一方で日系企業は…

 外資系企業は、政府が働き方改革とほざくから仕方なく働きやすい環境を整備したのではない。それとは関係なく何十年も前からやってきた。馬鹿な日系企業と違ってね。日系企業は政府のお触書をみてやっとこさ重い腰を上げるどころか、自分の経営ミスを棚に上げてぼやきだし、中にはガン無視するところもある。これは中小企業に限らない。普通に大企業でもやるし、海外の証券取引所に上場しており当然海外支社も所有している会社の海外支社での働き方も同じようなノリだ。つまり日本の法律すら守れないどころか、それより厳格な外国の法律を無視してるってわけ。

 

日系にいる人ってバカだねぇ

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ムダなものの例

 経営者もおっさん奴隷も、日系にいる人って頭悪いねw。なぜ日系企業労働基準法を守れないか、働きやすい環境を作れないか考えたことある?それは、単純に無駄が多くてそれを賛美する馬鹿ばかりだからなんだよ。経営者も労働者も両方ともが。どうでもいい会議やら飲み会やら書類作成のルールなど、非合理的なことがたくさんあるだろう?さっさと電子化したりマクロを組んだりAIに任せたりすればすぐに完了したものを気持ちが大事だとか言って手作業でやるから、あるいは不要なのに必要だと信じ込んでやり続けるからだろうが。バカだねぇ。実にバカだねぇ。それを合理化するだけでかなりの余裕が生まれ、労働基準法を守れたり、幾分かゆとりのある働き方ができるのに。…いや、そうしてもダメか。馬鹿な日系の奴隷どもはそこにさらに仕事を押し込もうとするから。

 苦しい思いしているのに声も上げるだけの勇気もないからやりがいだ夢だと自己正当化している奴隷どもは本当に哀れだよ。そんな情けない姿を奥さんやお子さんたちに見られて恥ずかしくないんですか?奴隷のお父さんよw。

*1:「完全」とつけたのは、すべての土日が原則休業日であることを指す。なぜこんなことを書くかというと、「完全」のついていない「週休2日制」は「少なくとも月に1回2日休みの週がある」=「それ以外の週は週休1日」という詐欺まがいの定義があるからだ。

日本人に「例外」という概念は危険だ

 日本人は、「例外」という概念を作ってしまえばそれが原則となり、結果それが害となることがある。ここでは、日本人が「例外」という概念を持つとどうなるかを考え、その危険性を指摘したい。

 

 

「例外」が「当たり前」になる

 見出しに書いたことがすべての理由である。初めは例外として運用していたものが、その「例外規定」を使うケースが増えていき、むしろ例外規定を使うときの方が原則ルールを適用するケースより多くなり、結果的に例外規定の適用が原則となってしまう。例外規定を設けるとその運用における適用条件の選定が正常にできないため、例外という概念そのものが危険であるといえるのである。まだ多様性を上昇させる方向や個々人が豊かになる方に進むのであればよいのであるが、そうでない方向に行くことがしばしばあるので問題である。

 これだけだと抽象的でわからないので、具体例を挙げよう。身近な例では、労働時間があるのではないだろうか。契約書には9:00-18:00(休憩1時間・実働時間8時間)などと始業時間・終業時間が明記されているにもかかわらず終業時間がいつの間にか守られなくなっている例や、工場などで使用する装置の原則外してはいけないはずの安全機構を外して使うことが当たり前となる例が挙げられる。

 

「原則」の成立条件がおかしい

 このように、例外規定とその条件を設けると、なぜか例外規定適用の方が原則となってしまう。その原因を考えると以下のようになる。ここでは、前項で例示した残業の常態化として、以下の記事

dennou-kurage.hatenablog.com

について、こちらに付されたはてなブックマークの、以下のような内容のコメントを用いて考える。

「閑散期に定時に終わるようにし、そうでないときはすべて残業で対応するのがよい」

 

「原則」の成立条件が「例外」となっている

 例から考えると、「閑散期」という状態自体が例外そのもの(いつも閑散期だったら事業が維持できないはず)であり、結果的に「定時帰宅可能日」自体が「例外」となってしまう。このように、「原則の対応ができる条件」(全部から例外規定を適用する条件を除けばよい)がそもそも存在しないか、あってもごくわずかとなるため、そもそも原則の規定が適用できなくなってしまうのである。また、今日やらなくてもよいタスクを持ってきたり、どうでもいい雑用を押し付ける輩がいるように、例外規定適用をさせようとする者がいるので、ますます原則となる条件が限られてしまう。

 

「原則」の成立条件が曖昧で、誰かのさじ加減で変わってしまう

 以上の例で考えれば、「閑散期」というものの定義が曖昧であることが原因である。「定義」というのは

「業務量的な定義」:現時点での受注業務数(未完了分)および、過去の実績や従業員数・従業員の時間当たり作業量から考えられる想定業務時間が一定値を下回っていること

「季節的な定義」:「業務量的な定義」および過去の実績から、どのような時期(例えば、毎年の決まった月)の業務量が一定値を下回るのか

がある。このように数値を用い厳密・客観的に定義した(もちろん、データの改ざんがないことを前提とする)のであれば問題ないのだが、このような定義がないため、各々(特に権力者や多数派)が恣意的に定義してしまう。

 

問題提起すれば論点をすり替えるか逆ギレする

 これは、奴隷根性(往々にして多数を占めた場合、その傾向は強くなる)を持つ者や権力者によくみられる態度である。具体的には

ステレオタイプの押しつけ:「社会人はそんなこと言うもんじゃないよ」というように、暗黙の了解を説くことで問題提起をあきらめさせる

気遣いの「フリ」:「俺だってそうならないように善処している」「こうなっているのも君たちのことを思ってのことだ」と、まるで例外規定を脱するよう努力したか、あるいはその例外規定自体が気遣いであるかのように見せる

「道連れ」思考:「だったらもっとひどくしてやる」と、文句を言うなら今文句を言っている状態がよかったと思えるくらいにしてやる、というもの

 とすることで、問題提起の行動が悪であるか、あるいはその行動を後悔させてやるため実力行使してやる、と言わんばかりの態度に出るのである。相手を支配したいためなのか、自分が拘束された状態が気持ちいいのか、改善策がないがそれを知られるとプライドが保てないのかは知らないが。

 

どうしても例外規定を設けたいなら…

 以上、日本人は例外という概念を適用する際の条件をうまく設定できないためそれを運用できないことがわかった。従って、日本人には「例外」という概念は早すぎる。しかし、どうしても例外を規定したいということがあるだろう。このようなときは、以下のような手順を踏むべきである。

①まず、例外規定を適用する際の条件となる、数値で記述できるものを定める。

②過去の実績から、その数値的条件の測定対象を抽出する。もちろん、そのデータが有利不利かにかかわらずすべて、改ざんすることなく抽出する。

③このデータを正規分布にフィッティングする。で、例外を適用する際は、今回の測定値が例外を適用する方向に、2σ以上振れている場合のみ例外規定を適用する。

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  残業の例に適用しよう。業務量に応じた関数である作業時間の過去の実績が1人当たり{10,20,15,13,17,23,19,33,25,30}時間であったとしよう。この時、平均値は21時間で標準偏差は7.3時間である。①の条件としては、「業務時間が一定以上」で「残業する」という例外規定を適用する、と定めるのが自然である。よって、業務時間(想定)が21+2×7.3≒36時間以上で残業する、という条件が作れ、これに満たないときは作業を明日に回したり、臨時職員を雇用したりするといった方法が考えられる。いずれにせよ、残業は悪であり完全になくすべきなのは言うまでもないが。

天皇が死んでもどうということはない

 得てして日本人は、天皇あるいは皇族が何かしただけで騒ぎ、テレビがその話題だけになる。そこで、ここではこのような風潮を批判し、正しい行動を提示したい。

 

 

騒ぎ出すマスメディアと日本人

 天皇がどこかに出かけただけでもマスメディアが騒ぎ出し、それを見物しようと群がる。迷惑もいいところだ。結婚したときも同様で、ましてや天皇が死んだときはなおさらだ。親でもないのに喪に服し、テレビに至っては全局が追悼番組を数日間にわたって放送する。昭和天皇の時はこのようなテレビ欄になったそうである。

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昭和天皇が死んだときのテレビ欄(読売新聞首都圏版・1989/01/08)

 このように、NHK総合と各民放及び地域限定放送局がこぞって追悼番組を放送した。今は「テレ東伝説」*1とたびたび有名になるあのテレビ東京もびっしり追悼番組が詰まっている。逆に、通常営業をしているNHK教育テレビ(現・NHKEテレ)が正常に思えてくる。実際は、民放連から北朝鮮顔負けの指令が出されていたということもあり、こんなことになっていたそうである。これ言論統制じゃね?ヘイトスピーチができないとわめいているバカウヨの皆さんはどうお考えですか?どーせいつものごとくダブルスタンダードかますんだろうけど。

 

たかが他人でしょ?

 天皇がどこか行こうが結婚しようが、あるいは死んだからといって何も気にすることないじゃん。天皇は君の友達でも親でもない。赤の他人でしょ。「人類の始まりから見たら天皇も親戚だ」とかいう人がいるだろうけど、DNA検定をしたとしてどのくらい一致するんだろう。99%一致するとか言っても、1%違えば人間とサルくらい違うし。話を戻すが、何天皇ごときにマジになってるの。他人なんだしどーでもいいじゃん。ラブライバーとかAKBファンとかと同じノリだな。周りに踊らされて恥ずかしくないの?そんな時間があったら自分の資産とか生活を考えたら?

 

天皇が死んだときの正しい行動

 先ほども述べたとおり、天皇は赤の他人でしかない。だから、気にすることない。いつものように過ごすか、周りが喪に服しているから行きたいところが空いててラッキー、くらいの認識でよいだろう。もしその話を振られたら、このくらいの対応で軽く受け流せばよいだろう。

「え?天皇死んだ?あっそう。そんなことより東武ワールドスクウェア行こうぜ。みんな喪に服してるから空いてるだろ」

 インドア派の方はこんな感じでよいだろう。

天皇死んだんだって。あとでチンポコモン見ようぜ」

 

ところでさ、

 天皇ってもう年なんだっけ。生前退位で以前ほど国民が一斉に喪に服す異様な光景は見られなくなるだろうが、そろそろ死ぬんじゃね?となると、こんな光景が見られるかな?

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*1:大ニュースが飛び込んできたとき、他の放送局がこぞってそれを放映する中、テレビ東京だけ関係ない番組を放送すること。たまに当該ニュースを風刺したように見られるものが偶然放送されるため、インターネット上でたびたび話題になる。