日本社会の疑問を考えるブログ

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日本のコロナウィルス感染者数についての仮説

 全世界で猛威を振るう「新型コロナウィルス」。各国で毎日数万人以上の感染者が発生しているが、なぜか日本だけはせいぜい数百人を保ってきた。*1なぜここまで感染者数に違いがみられるのか考えたい。

 

 

「発表された」感染者数<「実際の」感染者数

 公的機関や各メディアは毎日のように全国の感染者数や重症者数、死亡者数を発表している。諸外国が毎日数万人単位の感染者を出す中、一見日本は毎日数百人程度を維持していた。

 

 ここで注意しておきたいのは、いずれも「発表された感染者数」であり、「実際の感染者数」ではないことだ。

 

 この違いをあいまいにしておけば、一見日本の感染者数が少ないように見せかけることができる。さて、先述の2種類の感染者数の関係を考えよう。

 

報告数=実数×検査割合×誤差×公表割合

 

報告数:上記の「発表された」感染者数

実数:「実際の」感染者数

検査割合:実際の感染者数のうち検査される割合

誤差:誤判定(偽陽性/偽陰性)による報告数の増減比率

公表割合:1日で発見できた感染者数のうち公表する感染者の割合

 

 要は、実際の感染者数とテレビなどで見る感染者数は異なり、後者の方が少ない、というわけだ。

 

  検査そのものにまで立ち入ると実際の技術面に触れる非常に複雑な話になるので、ここでは検査は信頼性の高い研究に基づいて行われている世界的かつ正確な方法、と考えて、誤差の比率は1(誤判定なし)としよう。

 

 となると、「検査割合」と「公表割合」が怪しい。そこで、ここでは仮説として、これら2つの数値を用いたからくりを考える。

 

検査数そのものが少ない

 いくら感染者の実数が多くても、陽性、と判定されなければ報道される数字にはカウントされない。また、その前に検査しなければ陽性判定はされない。つまり、検査しなければ(報道される)感染者数は増えない、ということだ。言い換えると、何らかの方法で検査数を少なくしておけばこの数字を低く抑えることができる。

 

  どのような背景がこの検査数を低く抑えているのか。

 

同調圧力と差別

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もし感染したことがばれたら…

 

 感染者でなくても「バッシング」を受けるケースがよくみられる。

 

toyokeizai.net

 

 この記事では配送業者を例に挙げているが、医療関係者、タクシー運転手など、業務上長距離を移動するあるいは多くの人と接する職業に就く人は、感染しているかわからないにもかかわらず「保菌者」扱いされる。おまけに、労働者本人だけでなくその家族も同じく「保菌者」として扱われ、何らかのコミュニティ(学校や勤務先など)でいじめを受ける、サービスを受けさせてもらえない、などの不利益に直面する。なお、本人やその家族には一切落ち度はなく、勝手に保菌者と勘違いした周囲がバッシングしているだけである。

 

 感染者かどうかわかっていない状態でもこのありさまである。では、もしPCR検査などで「陽性」と判定されるとどうなるか。「感染者である」ことが「専門家によって推定」されるわけであるから、そうなるとそれどころではない。だから、本人も体調が悪かろうとできるだけ検査せずに黙っていようとするわけである。

 

 ヤバそうと分かったらさっさと行って検査してもらい、陽性なら陽性でいいから、体調がよくなるように薬飲んだり適切な治療を受けるのが最適解であり、また感染は誰かからするものであるから当然本人の責任とは限らない。にもかかわらず、感染の責任帆を本人に押し付けて*2ヘンテコなバッシングをするせいで、数字だけ低く見せて実際はそうでもありませんでした、というマジックが起こっているわけである。

 

www.j-cast.com

 

www.hokkaido-np.co.jp

 

検査をしたがらない自治

 最近は事前予約の上PCR検査を行う民間団体が増えてきたが、当初は保健所といった公的機関で検査を受けることが主流であった。

 

 しかしながら、なぜかその保健所が「検査を拒否」したわけである。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 検査をしなければ陽性にはカウントされない。なんだか「重症*3ではないから」とか言い訳しているが、あくまでこれは建前で、要はこれを逆手にとって「検査をしないことで数字だけを抑えてしまおう」といったことが可能になってしまったのである。

 

発表数も少ない

 検査数も少ないが、発表割合が少なければますます報告数も少なくなる。医療機関は日曜日は休診日であるため検査数は当然少なくなる。*4従って日曜日の報告数は少なくなって当然である。

 

 要するに、「日曜日が少ないから」「遊びに行く人が減った、自粛呼びかけの効果があった」とか「感染者が減った」と一喜一憂しても意味がない。

 

要は数字をいじっているだけ

 今回は、日本人お得意の自己責任論とバッシング、それに付け込んだ保健所の検査拒否による検査数の最小化によって陽性者数を抑えているだけであり、要するに感染者が少ないのではなく数字だけをいじっている、という仮説が考えられる。

 

 本来は感染症対策を行うことで感染者そのものを減らせばよいものを、数字をいじることで見た目だけよくしている日本らしさが前面にあらわれている事例であった。

 

 とはいえ、民間検査機関も増えてきて、少しはマトモな数字になってきたと思う。

 

www.asahi.com

 

余談

  • 政治家がこの状況でも経済に固執するあまりGoToキャンペーンを停止できなかったため「第3波」が来てしまった、という話があるが、せっかくだから「GoTo感染者1日1万人キャンペーン」をやっても面白いと思う。どうでしょうか、自民党の議員さん。

 

  • 3年前、こんな絵をWindowsのペイントソフトで描いたが、的中するとは思わなかった。

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*1:なお、維持できなくなっているもよう。

*2:日本は自然災害が多く「非常時にも備えがあって当然」という価値観があるためと言われている。日本だけ給付金を渋ったのもこういう価値観にあると考えられる。ちなみに、あるYouTuberが東日本大震災や豪雨被害について「自分の身は自分で守らなければいけない」などと言って炎上していたが、この価値観が(おそらく批判した側にも)広がっていることと、こういった価値観はすぐにでも排除すべきであることを補足しておく。

*3:各個人や機関において、「重症」の定義が異なることに注意。「すごい苦しい」だけでは「軽症」扱いのこともある。

*4:医者は休みなく働け、という意味で書いたのではないことを補足しておく。あくまで後述するように、一喜一憂しても意味がないということである。