日本批判すると論点すり替えする人に反論する
日本を批判すると、どう証拠を集めて論証しても論点すり替えを使ってくる人がいる。そもそも論点すり替え自体反論ができないから揚げ足を取るために行っているものであり、反論すること自体野暮だが、ここではあえてよくある論点すり替えに反論したい。
「海外では○○という問題がある」
前置きをしておくと、ここに書いた「○○」というのは本題に関係ある時もないときもある。例えば、「日本の労働環境はひどい」といったときは、一例として以下のようになる。
本題と関係ある反論:「その代わり海外はすぐクビになるよ」*1
関係ない反論:「海外は治安が悪いし…」
あれ?普段は海外と比べると「ここは日本だ!」と怒鳴りつける癖にこういうときだけ海外を持ち出すってなんか矛盾してません?そこは百歩譲って見逃そう。ただし、海外と比較すべき時を誤っているといえる。海外などと比較していいときは、海外が日本と比べて優れているときだけだ。つまり、そうであるときは積極的に海外の事例を情報収集し、それを取り入れなければならない。一方で(ほとんどないだろうが)日本の方が優れている場合は海外を模倣してはならない。現状維持、可能ならばそれ以上の水準にしなければならない。
さて、上記のセリフに反論したい。本題と関係あるものについては、確かにその通りそれが副作用となろう。しかしその副作用は大して問題ないものだったり、それがあった方がむしろよいものや、さらには日本にも同じものがあり、完全に日本が海外に劣っているケースも多くある。従って副作用を過度に恐れること自体が改良を阻んでいると言えよう。本題と関係ないものに関しては論外としか言えない。それと何の関係があるのかといっておく。また、改良したからといってその状態までトレースされるわけがない。もしそうだとしたら、実行者が無能なだけだ。
いずれにせよ海外がそういう状態だからといって論点をずらすことで問題解決から遠ざけようとする行為は非常に悪質だ。日本の問題を放置することは許されない。それは、その問題自体が我々に不利益をもたらしており、不利益をもたらしているということは早急に改善しなければならない。
「日本に生まれたのだから感謝しろ/誇りを持て」
まず、なぜ「日本に生まれた」だけで感謝し誇りを持たなければならないのか理解に苦しむ。確かにアフリカや北朝鮮よりかは恵まれた生活を送っていると言えよう。しかし、それより恵まれているというのは「ほら、死んでないんだから少しくらい不幸でもいいだろう、望むのは甘えだ」などとほざく政治家や自称・普通の日本人と同じくらいの暴論である。それどころか、日本の生活環境や政治経済などの劣悪さは年々増しており、お世辞にも誇りを持てる状態ではない。
最近は日本礼賛番組の影響で、日本に生まれたから俺すごいだとかすごいことをした日本人(or日本出身者、日系人)と同じ国の出身だから俺すごいとか勘違いする人が多いのでくぎを刺しておく。日本に生まれたこと自体は何の価値もない。ただその時スゴイヤツがすごいことをしただけだ。スゴイのはソイツであなたではない。それに相乗りしたってあなたの価値が上がるわけではない。結局あなたの価値を上げるのはあなたが出した結果しかない。
「主語がでかい」
「主語がでかい」とは、何かを言う際、それを指す対象が広範すぎることを指すという。しかし、この「主語がでかい」、都合の良いときだけ使われている気がしてならない。例えば「日本人は店員に対して態度がでかい」というと「主語がでかい」というが、もっと曖昧なはずの「日本人スゲー」というテレビ番組に対しては不思議とそのような声を聴かない。このように、都合の良いときだけ聞き入れ、都合が悪くなると、反論が難しい相手の意見をはねのけるために適当なことを言っているのだろう。では、なぜこのようなことが起こっているのか説明してほしい。
キレるのやめたら?大人げないよ
これらを並べてみると、どれも論理性に欠ける詭弁であることがよくわかる。おそらく反論できないからこんなことを言って脅そうとしているんだろうけど、無駄だ。論理性がない以上その論には一切の説得性がない。
日本を批判されるとプライドが傷つくのだろうが、いい加減キレるのはやめたらどうだ。大人げない。あと、日本しかすがるものがないとはずいぶんカラッポな方ですね。趣味とか自分の実力とかで、自分が作り出した自分が誇れるものを作ったらいかがですか?
歴史を学ぶ意義
小学校から大学院*1まで学ぶ分野の1つ、歴史。ここでは、その歴史を学ぶ重要性を、「教養のため」以外で述べていきたい。
- 日本史(古代史):「純血日本人」などいないことを知るため
- 日本史(近代史):戦争をしたがる馬鹿どもを止めるため
- 世界史(1):人種差別や迫害を再発させないため
- 世界史(2):日本にしか見れない近視眼的姿勢を改めるため
- 歴史も知らずに物事を語るのはいかがなものかと
日本史(古代史):「純血日本人」などいないことを知るため
妄想が過ぎて、外国人(特に韓国人)嫌悪をおかしな方向にヒートアップさせ、「自分は純血の日本人だと」考える自称・普通の日本人or愛国者が多くいる。ところで、「純血」とはこういう意味である。
同種の動物の雌雄間に生まれたもの。
この時点では、人間同士で交配すれば相手が誰だろうと純血だ。しかしネトウヨの言うことの文脈では、どうやらこの条件を満たしていても「純血でないもの」がありそうだ。この時点で意味から外れるが、およそこんな風であろう。
古代より日本で発生し、他民族の交配を受けていない人種のこと。
だとすると、そんな人種は存在しない。ちょっと古代史を勉強すればわかることである。小学生向けの雑誌にこんなものがあった。
このように、「日本人」という人種は存在しても、「日本人」は日本で発生したものではない。アフリカで発生したホモ・サピエンスが各地を移動*2し、その一部が日本に到達したのである。図にもあるように、日本民族自体は樺太及び台湾方面から来た縄文人と、朝鮮半島から来た弥生人との混血民族である。おそらくネトウヨさんたちは韓国人と差別化を図りたいのだろうが、見事にあなたは朝鮮人の血を引いてます。それと、上図は混血の割合も表しているが、中国地方は弥生人の割合が多い。ということは、あなたが大好きな安倍晋三さんも朝鮮人の血を引いている、しかも多めに。
古代史を学んでいればこんなことなどすぐにわかるが、学んでいないからこういう変な勘違いをするようになり、おかしな優越感を抱いてオナニーする癖がついてしまったようだ。
日本史(近代史):戦争をしたがる馬鹿どもを止めるため
これが一番大切なことだ。いかに当時の日本政府がバカげたことをしていたか知ることができる。いかに日本が独裁的な政府を作り上げ、恣意的な動機で戦争をはじめ、大量の無実の現地人を殺し、大量の若者を愛国心の名の下で圧力をかけて自爆テロを引き起こさせ、そして各地を跡形もなく焼け野原にしたのか、ということがわかる。それを反省する形でできたのが今の日本国憲法なのであるが、残念ながらそれを破壊したい者が存在する。そう、それが安倍をはじめとする自民党だ。9条を変え戦争できる国にする。自国の防衛だけでなく、集団的自衛権を行使して、他国が侵略戦争をしようとしてもそれに加担することができ、同様に自国が侵略戦争がしたいときいつでもそれを開始することができ、国民をそれに巻き込むことができる。またもや無実の人を殺すことになるのだ。
戦争以外にも人権蹂躙がある。有事(というか、そう政府が決めつけたとき)の際は好き勝手に人権を制限し、勝手な理由でそれをいつまでも辞めないこともできる。この際は、選挙なども停止し、いくら問題でもその政治家を辞めさせることができない。
近代史を知り、こういった事実を知れば、安倍らが何をしようとしていて、その結果何が起こるか、を容易に推定することができ、それを未然に防ごうとする意志が生まれ、その方法を考え実行することができるであろう。また、ただアメリカに押し付けられた憲法と考えてそれから離れるため、平和主義と人権保障をなくすことが自主憲法につながる、という長勢甚遠の考えがいかにおかしなことかもわかる。
ホントに言ってます。 pic.twitter.com/EcDXZUsshu
— 中野昌宏 Masahiro Nakano (@nakano0316) May 29, 2019
世界史(1):人種差別や迫害を再発させないため
中学校の学習指導要領が日本史だけに凝り固まっているが、大事なのは日本史だけでない。世界史も同じく重要だ。その理由として、人種差別や迫害を反省し再発を防ぐ思考・行動ができるためである。
例えば、ドイツで過去にあったホロコースト及びユダヤ人大量虐殺、アメリカであったプランテーション及び黒人差別、アフリカのアパルトヘイト政策である。これらはいずれも特定民族を身勝手な理由や偏見などから民衆を扇動したうえで彼らを差別し、迫害、さらには大量虐殺をしている。
こういう歴史を学ぶことで当時何があったかを知り、その原因は何か、我々に残された教訓とは何か、今後これを起こさないためには我々は何をすべきかを考えることができる。逆に、学ばないからこそホロコーストを捏造だだとか、ナチスのやり方は正しいとかそれを見習おうとか言うバカ(前2つは、美容整形外科を経営する医師*3、3つ目は麻生太郎の発言)が現れる。
こういった差別や迫害の後、反省した後で行われるのは迫害された人の権利の保障である。同様に、何に反省し、何のためにこういった権利を保障したのかを知ることで権利そのものおよびそれを保障することの重要性を知る。間違っても権利をはく奪することが自主憲法だとか、外国人から権利を取り上げろ、などというバカげた考えをしなくなるだろう。
世界史(2):日本にしか見れない近視眼的姿勢を改めるため
学習指導要領の内容や日本の地理的条件から、あまり日本に住んでいては海外情報が入らない。というか、最近の壊れたレコードのように日本スゲーとばかり言っているテレビ番組ばかり見ていては日本のことしか頭に入らないだろう。結果日本のことしか知らず、日本のことしか考えない頭になる。従って日本のシステムがいかにクソでもそれを改善する方法が思いつかない。海外の情報も入らずにまねすべき目標の情報も得ることができない。結局は「クソだけどこれ以外なくね?」「まぁ海外は○○(本題と関係ないもの)が悪いし、日本はましだからそれでいいのでは」などと考え、いつまでも日本がよくならないどころか悪くなる。
一方で、世界史を知ることで海外の改善例とその原因や改善プロセスを知ることができ、それを日本に応用することができる。また、その前に応用させるためどのような行動をすればよいのかを知ることができる。
歴史も知らずに物事を語るのはいかがなものかと
さて、この記事で歴史は、ヘンテコな愛国心から距離を置き、今までどのような凄惨なことが起きたかを知ることで我々がそれを防ぐことを考え、さらにそれをしたがる政治家などを安易に信用しないことができることを述べた。
こう見ると、そういう歴史を考えずに身勝手な発言をする政治家やネトウヨに一言言言いたくなる。
あなたはその発言をする前に過去に何があったか顧みましたか?顧みたとしてどうしてそれが正しいと言えるのですか?顧みていないのであれば、なぜそのようなバックグラウンドを知らずに物事が語れるのですか?勉強してから物事を語った方がいいですよ。それと、正しいとしても、それは歴史であったように、ただの偏見やデマ、あるいは政治家からの扇動に踊らされているだけではないですか?
日本批判する人にレッテル貼るなら証拠見せろ
ネトウヨをはじめとして、日本を批判するとなぜか在日(朝鮮人)だとか日教組だとかのレッテルを貼る人がいる。ここではそれを批判する。
レッテル貼りが大好きな暇人
ネトウヨをはじめとして、日本批判に敏感なお方が多数いる。それがどんな数値データや社会論文を根拠としたものであり、いくら理路整然と述べたとしても、なぜか在日朝鮮人による反日プロパガンダと思い込み、その一点張りをするのである(この類型が上のアスキーアートである)。もちろんその証拠はない。あとは、教育関連なら日教組、貧困関連なら低所得者、などと何の証拠もないレッテル貼りをする。
その証拠はどこにあるのですか?
一応聞いておくが、その証拠はどこにあるのか?例えば、在日朝鮮人というレッテル貼りについては、なぜ日本を批判することが在日朝鮮人ということになるのか?日教組やそれ以外のレッテル張りについても同様だ。どのような証拠があり、どのような論証を経て、どのような論理・因果関係が得られているのかその思考過程を示してほしい。ただし、証拠については出所不明のまとめサイトは除く。あれは第三者が悪意を持って虚偽の情報の可能性が高いので。信頼性の高い社会論文を見せてほしい。おそらく、wとか差別用語を多用したり、論点をすり替えているのを見るとそんなものはないんだろうし、できないんだろうけど。単純に「俺がそう思うからそうなんだ」程度でしかないんだろう。
もっと頭を使ったら?
とりあえず自分の言っていることに責任を持とうか。それと、自分が言っていることくらいその理由付けをできるようになろうか。学校も出たはずのいい大人が、何の論証も論理的思考もできずにただ揚げ足を取ろうとしているさまは見苦しいだけだぞ?頭が育たずにプライドだけ大きくなった大人はこうも醜いのか。自分にとりえがないから(本来は衰退途上の)日本に過剰な期待を抱いて自分にそれを投影し、出所不明の情報を信じ込み、この情報の論理的・批判的検証ができない。で、自分の意に反する情報が出たら脊椎反射的に怒り狂う。反論するにも思考力も語彙もないから小学生の喧嘩レベルの発言しかできない。それができないと論点すり替えやwを多用して揚げ足を取ろうとする。余裕のなさが丸見えだ。もう一度言うが、とてもいい大人がやる議論ではない。体だけ成長して頭は全く成長していないのか?それとも知性の劣化か?
最後に、徒労となりそうだが一言。人間は考える葦だ。とりあえず頭を使え。それと、人間は理性を持つ動物なのだから、もっと理性的になろうや。