日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

「飛び級」「留年」「種別選択」をさせない日本の学校

 子供の発達や考えは個人差がある。それを無視して日本の教育は全員同じ教育を受けさせようとする。

発達速度の個人差や考えを認めない日本の学校

 そもそも発達の速度など遺伝的なものもあり、また出生後親の教育によっても変化しうる。後者であっても速度を画一的にするマニュアルがない以上、日本の学校が行う画一的教育を円滑にできるように発達速度を調整することができない。実際、発達心理学や教育論の専門家に聞いてみても、文献を漁ってみても、発達速度は画一的であることも、生徒全員の発達速度を一定にして画一的教育を行う方法論も存在しないとわかる。しかし発達速度の異なる子供に対応するプログラムがないため、強制的に画一的な教育に沿うしかなくなる。発達速度以外でも本人にはこれがしたい、というものがあろう。しかしその方面が日本の一般的な教育の方針から外れる場合は対応ができない。このように、能力や希望が日本の教育と剥離している場合打つ手がない、というのが日本の教育の問題点である。ここでは、「飛び級」「留年」「教育内容の選択」に重点を絞ってみていく。

日本の飛び級の現状と飛び級できない天才

 一般的に、日本では飛び級は認められていない。つまり一定年齢を迎える前まではどんな手段を使ってもより上級の学校には入学できないようになっている。一応例外として京都大学・医学部医学科と千葉大学(「先進科学プログラム」)、一部私立大学および大学院で行われてはいる。しかしこれを認めている大学や進学できる学部が限られている。また、中学校および高等学校*1ではこの制度は存在しない。さらに、京大の場合、応募要件が「国際科学オリンピック入賞経験」と、明らかに理学部への素養を必要としているにもかかわらず、入学先が医学部医学科とミスマッチ感が否めない。*2
 問題はそればかりでない。飛び級制度を使って入学した場合、出願時に在籍していた学校は「早期卒業」でなく「中途退学」となるのである。必要単位を取ってないのだから当然だろう、という意見もあるが、そもそもその不足単位分を取得するプログラムが存在しないので、リスクが極めて高くなる。具体的には

  • 仮に進学先を中退した場合、最終学歴は出願時在籍した学校でなく、その前の学校となる。大学院の場合高卒、大学の場合中卒となる。よって、中退した場合、飛び級して入った学校と同じ段階の学校にはすぐに入ることはできない。
  • なぜか、飛び級した功績よりもその前の学校を中退したことを根掘り葉掘り聞かれ、よくわからないレッテルを張られることになる。横並びが大好きな日本人らしいが。
  • 海外留学する際は、飛び級する前にいた学校を中退したためその要件を満たさないことがある。このため、学位授与機構などに手続きに行くことになったりする。

 とまあ、そんな感じで、「みんなと同じことをしてね?違うことするなら人生ハードモードにするよ?」と脅しをかけて天才を抑圧していくのである。

よく学習内容を理解しないまま進級する問題

 本来学校は、その学年に応じた内容を学習していくところのはずである。したがってそれの修了と認められる学力を有していない場合、そのまま進級させるのは問題である。その水準まで学力を底上げするため、再度学習(留年)してもらう、あるいは学習する気がないならさっさと去ってもらうのが合理的だ(やる気があるなら去らせるのは酷だが、ないのなら去ってもらった方が学生本人も幸せだろう)。しかし、日本の教育では、ここでも悪しき横並び教育が幅を利かせており、留年・中退させることが悪と考えられており、いくら成績が悪くても留年させたとたん教育委員会や、文部科学省からお叱りが入る。大学の場合、それで学費を貪る経営とこじつけて補助金金質(?)にとっていじめてくる。結局学生の実力が不足してようがとりあえず進級・卒業させる。結果、せっかく金をかけたにもかかわらず何も得るものはなかった、いや、何も得なかった、ということになるのである。その前に、もっとも日本など、学んだ内容が結びつかないし、学問など無意味と大企業にいるエラそうでエラくないおっさんまでもがのたまうのだ(結局、能力として専門知識を問うことなどできない)。

基本一本道の教育制度

 日本では、義務教育を修了したら、普通科高校ののち、大学へ行くのが一般的とされている。一応高校からは工業、商業といった各種専門科や、より興味のある分野の大学へ向け、普通科のカリキュラムを一部変更した学科(理数科など。一部は文科省のスーパーハイスクール事業の対象となっている)もある。が、このような学科は非常に少なく、また、中学校の教員もとりあえず普通科への進学を推奨する始末だ。やりたいことがあるにもかかわらず、その選択肢がないわ、あっても足を引っ張られるわで、そのやりたいことを実現することができない。結局学生はやりたいこともなくなり、ただ無気力な人間となるのである。

飛び級・留年・種別選択を認めては?

 飛び級はそのレベルにあったところに押し上げる措置である。彼らは自分の年齢に相当する授業など簡単すぎてつまらないのだ。ならばさっさと彼らのレベルにあったところに行かせれば彼らも満足だし、教員も授業中彼らに対応しなくて済む。中には「学校で行うことを全うしていないのに勝手に進ませるとは何事だ」という意見もあるだろうが、それは単純に意見する側の妬みでしかないことをいい加減気づいた方がいい。まあこういった話はこれまでにして、改善案としては以下が挙げられる。

  • 試験によって学力認定を行い(もちろん、親のエゴであることもあるので、本人の意思確認も行うこと)、より高学年の授業を履修できるようにする。
  • 複数学年の授業から、自由に授業を履修できるようにする。そのためには、まず小中高では、全時間埋まった時間割を改善する必要があるが。
  • 以上を行い、学校が認めた必修単位を満たした場合、卒業として扱う。

 留年については、やはり学力維持のため、それに満たないものは冷酷に落としていく必要がある。学びたくないものにはさっさと去ってもらうための配慮である。こうすることで、学習内容の重要化が進み、また将来的に学習内容が重要なのか判断させることができる。

 また、種別選択も、やりたいことがあるのならそれを早い段階からやらせればよい。世間体がどうとかという理由で、周りと同じことをさせるのはもったいない。そこで、このような専門科学校を多数作ればよい。種別選択が一般的な国としてシンガポールやドイツを参考にすると良いだろう(下図参照)。なお、他のことをやり直したくなった人のために、修了しても、他の種別の学校にいつでも入れるようにすればよい。また、別の道に進みたくなった人のために、いつでも路線変更ができるようにすればよい。なお、そのまま入ると当該学生にとって高難度となる場合は、入るあるいは編入する前に試験もしくは準備コースの受講を課せばよい。
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シンガポールの学校制度。各学校の名称は、学習内容面を勘案し、日本の対応する種類の学校の名称に変えてある。また、大学以降は省略した。

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ドイツの学校制度。名称変更などについては同上とする。

*1:中高一貫校で、高等学校の内容を先取りすることをここには含めない。

*2:応募者の能力とそれを発揮する先がマッチしていると思われるものもないわけではない。飛び級制度ではないが、京大には「特色入試」と呼ばれる、難易度がとても高い数学の試験を課すものが理学部数学科のみで行われている。こちらも応募要件は「国際数学オリンピック入賞」である。

ノーベル賞報道に見る日本のメディアの馬鹿馬鹿しさ

 先日、2018年ノーベル医学・生理学賞の受賞者が日本人となった。名前は忘れたが、なんでも持続性のある抗がん剤*1の開発に貢献した人だという。そこで、このようなときの報道から見る、日本のメディアの馬鹿馬鹿しい点について述べる。

 

 

とにかく日本のことしか述べないし、外国のことはテキトーにあしらう

 

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日本人が受賞したらそれこそ時間をたっぷりとって報道する。まぁそれは別にいいんだが、外国人が受賞したときの報道がひどいったらありゃしない。例えば

 …ただいま情報が入ってきました。ノーベル賞受賞者が決定しましたが、日本人の受賞ではないとのことです。次のニュースです。

 こんな風に、日本人が受賞することを大前提としているし、そうでないとわかったら(チッ、空気読めよ…)みたいな感じでスルー。日本の報道機関の海外に関する報道を行う能力がほとんどないことが露見した瞬間であった。それ以外にも

 …ノーベル賞受賞者に○○人の△△氏が選ばれました。ところで、ノーベル賞受賞者というと、日本人にはこんな方がいました。(以降、その日本人の話題)

日本の海外に対する報道力がないからと、無理やり日本人の話題にこじつけることでそういった汚点を隠そうとする。

 理由はほかにもある。日本人が海外に興味がないというのもある。四方を海に囲まれた島国で、イギリスと違い大陸からかなり離れている。このような地理的条件から、海外に対し古くから無頓着であり、それが現在に続いていることが考えられる。それに加え、日本の外国語教育自体が低レベルなものであるためである。インターネットが高度に発達し、海外の情報を簡単に入手できる現代でも、日本人はそんなものなど興味を示さない。せいぜい芸NO人の馬鹿話をキャーキャー発情期の猫みたいに騒いでみているくらいだ。

 さらに、驚くことに、(嘘であっても)自画自賛している報道を見たいという日本人がいるということが挙げられる。そういえば戦時中、日本が負けているにもかかわらず日本が勝っているという報道が欲しいと欲した頭が腐りきった幼稚な日本人どもがいたんだっけw。やっぱり日本人は進歩してねぇなw。情報の正確性より自分の虚栄心を満たす方がいいって…w。

 え?海外のメディアも日本と同じだと?それ嘘だってバレバレなんだよ知ったかさんがw。これを見てみろ。BBC Newsの例だけでも当記事執筆時点で反例がたくさん出てくる。

 物理学賞:Donna Strickland氏(カナダ人。51年ぶりの女性受賞者)。パルスレーザーの照射時間を極端に短くする*2ことにより、レーザー強度の増強に成功した。

www.bbc.com

 ちなみに、こちらは彼女の生涯に重点を置いているが、研究の概略はこちら。

uwaterloo.ca

  

 化学賞:Frances H. Amold氏と他2名(アメリカ人2名、イギリス人1名)。Phage displayという、バクテリオファージがタンパク質を生合成する機構を用いてタンパク質を合成した。*3*4これが薬剤や新しい資源の開発につながるという。

www.bbc.com

 

 平和賞:Nadia MuradおよびDenis Mkwegeの両氏(前者はクルド人、後者はコンゴ人)に授与された。イスラム国に誘拐され、性的暴行を受けた経験から反レイプ運動を展開したことによるものだ。日本でもこのようなレイプ事件は少ないものの起こっているし、このような運動によりレイプに苦しむ多くの女性が行動を起こすきっかけとなるであろう。しかし、日本のメディアはやはりちょっとだけ取り上げて後は黙殺であった。

www.bbc.com

 

どうでもいいプライベートのことだけに焦点を当てる

 先ほどのBBCであっても、授賞理由や、受賞者本人がその理由となった物事を開発するに行った経緯に焦点を当てている。また、授賞理由となったものが世界にどのような貢献をするのか、(自然科学系の賞では)どのような実験をし、どのような結果を得たのかといった知識教養面も重要である。しかし日本のメディアはこういったところは最小限にとどめる。その人の研究や活動とは無関係の、幼少のころの話とかをクローズアップしたり、実家に突撃したり、その近所にインタビューしたりする。それどころか、まったく関係のない、受賞者が愛した店*5のことを取り上げたりと、何を報道したいのかよくわからなくなっている。

 

やっぱり日本のメディアはクソだ

 どこかで聞いた話だが、電通に勤め過労自殺をせざるを得なくなってしまった高橋まつりさんが言っていたそうだが、メディア自体「偏差値40の人でもわかるようにしないといけない」そうである。つまり日本のメディア自体恐ろしく低俗なものなのである。それを信じる日本人が7割を超えるというのだから日本人はもともと頭が空っぽだったか、洗脳されたとしか言えない。

 …メディアにこれ以上知能を下げられたくない?だったらとりあえずテレビ(特に地上波)を見るのはやめましょう。できれば日本のメディアは低俗なものばかりなので、十分な語学力をつけ、英語圏*6のサイトを見ましょう。そして、もし低俗な話題を振られたときはそんなものは見ていないと返すようにしましょう。で、日本のクソメディアに踊らされている馬鹿に

「アンタテレビヲミテナイノカ」

などと言われたときは、

「そんなクダラナイもの見ないわーw」

と煽ってあげましょうw。

*1:持続性については、阪大が行った別の研究による。投与終了後5か月程度薬理作用が持続するという。

*2:ただし、このような場合、不確定性原理の影響が出てくる。大体ピコ秒のあたりからこの影響が大きくなる。彼女の場合、さらに3桁小さいフェムト秒での照射を行っており、エネルギーを絞ることができないことに懸念が持たれる。

*3:タンパク質は、不斉炭素周りの立体配置がシビアに決まっていて、また合成しようにも多段階となり、その過程で立体構造が崩壊し、使い物にならなくなってしまう。したがって、化学的に試薬から合成することはほぼ不可能である。

*4:最近の化学賞は生化学分野からのノミネートが多い。そろそろ医学・生理学賞に統合した方がいいかもしれない。

*5:リポーターはその店のことを大絶賛するが、ほかの店と五十歩百歩であることが多い。

*6:和訳版も併設されていることがあるが、英語版より情報が不足することがある。

日本人なら日本が好き?バカ言うな

先日、日本の問題点を指摘する人を感情的に非難したがる人を批判する記事を書いた。これに関連して、なぜか日本には「日本人ならば日本大好きで当たり前」という考えの持ち主がいることに驚く。

彼らの言い分

 ネトウヨの言い分はこんな風だ。

  • 日本はあらゆる面で世界一だ!世界から愛される日本だ!
  • 日本を批判するのは中国人か韓国人!あるいは在日だ!
  • 日本が嫌いなのは中韓のせいだ!日教組のせいだ!

 まるで「汚染されていない真の人間は日本が大好きだ!」と言いたげな言論である。

どこから突っ込んでいいものか…

 まず「日本はあらゆる面で世界一だ」ということに反論しようか。経済成長率でいえばアメリカや中国、インドなどにすでに追い抜かれている。研究力も低下しており、100年以上前に開学した東大*1を1970年代に開学した韓国科学技術院にも先を越されている。この研究力低下については、Nature誌で問題視されるほどだ。*2そのほかを比べても到底「世界一」などということはできない。
 「世界から愛される日本」「日本を批判するのは中韓人」についても疑問が残る。今までこびへつらってきたアメリカ様(トランプ)が日本を批判しだしたのだ。このほか、日本を批判するものは理由はどうであれ世界各国一定数いる。つまり中国・韓国人とは限らないし、それより少ないという統計的なデータもないだろう。偶然マスメディアがセンセーショナルに取り上げてしまったことが原因である。
 「日本が嫌いなのは中韓日教組のせいだ」も疑わしい。後述するが、日本の現状を見てもそう言えるのだろうか?

自分から日本が嫌いになることはあり得ないと?

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 ブラック企業に矮小化する福祉、差別発言を繰り返す政治家…。他にもいろいろと劣悪な日本の実像が見えてくる。もちろんこれは日本社会自体が生み出した膿そのもので、中韓日教組ネガティブキャンペーンが原因ではない。さて、この実情を見てどうして日本を好きになれというのか。よく匿名掲示板で「他の国はこの点で劣っている。だからさらに生きにくい」と他国を下げることで納得させることが行われているが、そうしても外国が下に落ちるだけだ。日本の悪い点は浮き彫りになったままで、好きになれるわけがない。いや、むしろそれを見ていると日本人は差別主義者と考えますます嫌いになるだろう。

*1:改組前の旧開成学校および東京医学校を含む。

*2:Relative gain およびJapanese research leaders warn about national science decline : Nature News & Comment。前者は「小さくともキラリと輝く」などと結論付けてはいるが、長く続くものではないだろう。