日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

日本礼賛論者の薄っぺらさ

 自称愛国者は、日本がどんな悪い状況になってもそれを認めない。ここではそれを例示し批判したい。

 

 

「○○よりマシ」と思考停止

 こんなツイートがあった。

 確かに、「水道水が飲める」は事実であるので認めよう。しかしそれ以外は他所にも多数あるか、各先進国と比べその水準が著しく低いものばかりである。例えば、このツイートにある「四季がある」というのは何も日本に限ったことでない。日本と同緯度(温暖湿潤気候)の国を探せばそのような国は多数見つかる。そういうと「日本は自然がきれいだ」という人がいる。「自然がきれいだ」は具体的に何を指すのか不明だが、ここでは「あまり手が付けられておらず、緑系の色と水が多い場所」*1と定義しよう。やはりこちらも他の国にもよく見られる。

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 海外のことを何も知らない自称愛国者様には知識があろうともせいぜい中禅寺湖くらいにしか見えないだろうが、これは日本ではなくフランスの風景である。

 

 さて、他の項目を見てみよう。「北朝鮮より人権が保証され」「中国より官憲が穏健」「サウジより男女平等」「南アフリカより安全」「ベネズエラより豊か」とある。中国を除けばすべて発展途上国であり、中国の官憲についてもかなり問題視されている。先進国を名乗るはずの日本は当然これらのレベルは超えていなければならない。従って愛国者様は何も日本の素晴らしい点を述べておらず、先進国ではごく当たり前の点を述べているに過ぎない。それを日本の素晴らしいところだというのは勘違いも甚だしい。

 

論点をすり替える

 問題を指摘し改善を促そうとしたとき、何らかの論点すり替えをし批判をあさっての方向へもっていこうとする人がいる。もちろんこの目的も批判させないためであり、明後日の方向にもっていくのは、愛国者様には反論ができるほどの頭がないためである。

 具体的には全く別の国や問題を持ち出す、「そっちこそどうなんだ」などと言って水掛け論に持ち込む、などである。例えば「日本は労働環境が劣悪」と言えば「アフリカはもっと劣悪」や「過労死は海外でも発生している」と聞いてもいない対象を持ち出したり、これに対し「○○国は日本語が通じない」などと全く異なる問題を持ち出す。これらはいずれも反論になっていない。そもそも問題があることはわかっているが認めたくないから話をそらそうとしているのであろう。

 まぁ、根気よく論じていけば、最終的には「現実主義者」のふりをしたバカウヨによくある冷笑主義の側面が垣間見えるが。何がすさまじいかって、「労働基準法順守は理想」などと、人間が文化的に生きるための最低条件すらも「理想」と言い出すのである。

 

指摘した人に謎のレッテル貼り

 読者の皆さんはよく見たことがあるかもしれないが、とりあえず「在日朝鮮人」「反日パヨク」「日教組」などと十分な根拠もないのにレッテル貼りをすることを指す。ここには何の根拠もないか、あっても学術論文といった信頼性の高い情報源を根拠にはしていない。

 

いい加減現実を見ろ

 いいですか?愛国者もといバカウヨ君。日本は完全無欠の美しい国wではありません。そこかしこと問題が山積みになっている。日本でしか生きられず、それにやっとしがみついているレベルの無能なんだろうが、とりあえず現実を見ろ。そして、問題があることを認めろ。この状態なのだから、愛国心みたいなゴミを持ってても日本はヒーローじゃないから救世主にはなってくれないことをいい加減認識しろ。

*1:これは日本及び西洋の造園様式から定義したものである。日本は手を加えるのを最小限にし、元々あった岩や樹木を多く残すため、緑系の色が中心となる。一方西洋では大胆に手を加えるので、きれいに整頓された植物の配置や鮮やかな原色を持つ花が多くみられる。

いい加減紙媒体を偏重するのやめませんか

 日本ではなぜか不便な紙媒体の使用が偏重されている。ここではその文化を批判したい。

 

 

紙媒体偏重文化

 日本では、履歴書や各種ビジネス文書はなぜか紙媒体が(特に高年齢の方に)偏重されている。前者はなぜか手書きが推奨され、後者は一応パソコンを用いて作成されているものの未だに紙媒体に印刷している。保管のためと言いわざわざコピーしてファイルにしまい、会議のためと言い全員に印刷して配り、もっとひどいのは、メールで送付すればいいものをわざわざ印刷してFAXを通すという全くよくわからない慣行が残っている。

 

電子媒体のメリット

 ここでは、紙媒体を廃止して電子媒体にすることのメリットを解説したい。ズバリ、紙を使用しなくて済むことである。一見それだけのように見えるが、これはその他多くのメリットに派生する。まず、紙を使わなくてよいのだから自然保護につながる。ご存知の通り紙は森林の木々を伐採して製造されている。定期的な伐採は木々の安定的な成長につながるのだが、やりすぎると森林がなくなる。その結果土砂流出が起こったり地球温暖化の原因となる。なお、製造による環境の影響は紙だけでない。印刷に使うインクも含まれる。これも削減される。

 次に、使用時のメリットがある。紙は約0.1 mmととても薄い。しかしこれが数千枚、数万枚となってくるとだんだんかさばってくる。また、置き方やしまい方によってはそれ自体が空間的に厚みを持ち、ますますかさばってしまう。

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 仮に、うまくコンパクトにまとめ上げたとしてもそのまま重ねておくわけにはいかず、バインダーを使うことになる。この場合でも、本棚を圧迫する。一方でこれらをデータ化した場合、これらが小さなデバイスの中に納まるのである(オンラインストレージならそれすらない)。例えばASCII型の文字列を用い、1ページに5文字の英単語200語を記述するとした場合は、約90万ページ(90 m)の紙の束が市販の1 GBのデバイスに収まるのである。*1*2もちろん、さらに容量の大きいデバイスやオンラインストレージを利用した場合はさらにコンパクトになる。余談だが、なんと中には図書館の蔵書に含まれる全文字を角砂糖程度のデバイスに閉じ込めることができるものもあるという。送付するにしてもこれをメールに添付するか、あらかじめ約束したオンラインストレージのフォルダにアップロードすればそれだけでOKである。

 また、電子媒体自体バリアフリーの効果がある。弱視の方などは文字の拡大が必要だ。紙の場合は文字の大きさが固定されており、拡大鏡といった大きな器具を用いないと拡大はできない。初めから彼らに対応するにしても文字を大きく印刷することとなり、ますます紙の枚数が増える。一方で電子機器を用いた場合は、それの拡大機能を用いれば解決する。視覚障碍者の方も読み上げ機能を用いて内容を把握することができる。

 廃棄するときも楽である。紙の場合廃棄に伴い焼却したりリサイクルしたりで余計なコストをかけることになってしまう。中にはリサイクルのためと言いゴミ箱に捨てずに専用の箱において、使わないのにますますかさばっていくこともある。また、中には機密事項が含まれるものがあり、その廃棄処理は面倒だ。シュレッダーにかけたのち溶融処理をしたり、あるいは専門の部署に頼んだりで時間の無駄となる。一方で電子機器を活用した場合は、基本はクリック一つで消去可能である。専用のプログラムを用いて復元不可能にすることもできる。

 

電子媒体の問題点の克服法

 これだけ書いても電子機器にアレルギーのあるおっさんやおばさんが反論してきそうなので、予想できた反論に回答したい。

セキュリティ面

・紙媒体における署名や印鑑でその書類の信頼性が高まることへの期待

・盗難・紛失・滅失の心配

 そもそも紙媒体上の署名や印鑑自体信頼できるものではない。どちらも偽造は簡単である。どうしても紙媒体で信頼性の高い署名をしたいのであれば本人の生体情報を入れることになるが、こうなると自分の指を切ってその血で署名するか、爪を剥がして署名代わりにするかくらいしかない。痛々しいし相手から見ると気持ち悪い。一方で電子化した場合、これら生体認証データを付与することができる。具体的には指紋情報や静脈の情報だが、いずれも非侵食的に採取することが可能である。

 もちろん、印鑑や署名の代わりになるものを電子データ化することは可能である。印影を模したスタンプを押す機能をWordのアドインに入れておいてもいいし、署名ならタッチパネルで簡単にできる。

 盗難・紛失・滅失については、こちらも先に紙媒体にしたからといって解決できるわけではないことを述べておく。機密書類が入ったカバンを電車に置き忘れたら紛失・盗難につながるし、会社が火災になったら簡単に滅失する。また、電子媒体上のデータは簡単に検索できるのに対し紙媒体ではそうもいかない。従ってこの間に紛失・滅失あるいは盗難されるリスクは大きい。

 

書き込みの自由さ

 読みながら書き込みたい、メモしたい

 実際この機能はWordに図形挿入機能として搭載されているので、それを用いればよい。PDFファイルの場合はビューワーに文字挿入やペンでの書き込みができる機能があるので、それを用いればよい。もし、完全に手書きと同じことを、メモ帳感覚でしたいなら、OneNoteを用いればよい。

 

気持ちの面

紙の方が熱意が伝わる

 論外、とだけ言っておく。熱意なんかあんたの主観だろ。紙の方が熱意があるって、なんかの見間違いじゃねーのw?

*1:Article Info - PromoKeychain.com Custom USB Flash Drives

*2:Microsoft Word形式の場合はこれとは異なり、約13万ページとなる。これでも印刷すると13 mとなる。

思考停止の3パターン

 行動するためには思考する必要がある。このため、思考内容の良しあしによって行動の良しあしが決まるのである。従って思考停止した状態で行動するのは最悪のパターンといえる。ここではその最たる例となる行動の根拠を3つ挙げたい。

 

 

「みんなやっているから」

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 沈没船のジョークでも知られている通り、日本人によくあるパターンである。それが何らかの合理的な別の理由があり、合意形成によって全員の認識が一致したのであればよいだろう。しかし、特に理由を考えずただ多数派がやっているから、というのは思考停止に相当する。多数派がやっていたとしても、あくまでそれはブームに過ぎずそれ自体正当性を定義するものではない。また、多数派自体が何らかのバイアスを持っている場合があり、その場合正常に思考ができない。従って多数派にホイホイとついて行くのは危険であるといえよう。参考までに、このような例がある。

(初期設定)猿が複数いる部屋の天井にバナナが吊り下げられている。それを取ろうと引っ張ると、装置が作動し部屋に氷水が降りかかるようになっている。

①そんなことは知らない1匹の猿がバナナを取り、全員が氷水を浴びる。

②他の猿が入ってきた。①を経験しているので、バナナを取らせぬよう制裁を加える。

③これらが繰り返されるのだが、②などで新しく入ってきた猿は制裁する理由がわかっていない。また、この装置がまだ作動するのかどうかも分かっていない。

 このように、その合理性を分かっておらず、ただ先入観だけで行動しているか、理由すらわかっていない場合も少なくない。「みんなやっている」=「正しい」などと信じていてはその多数派の巧みな話術や圧力に押され、洗脳されて何が正しいか思考できず、そのまま行動してしまい、最後には自分が洗脳する側に回り、さらに多くの被害者を出すことになる。

 

「偉い人がやっているから」

 ある意味で一番危険な考え方である。「偉い人」がやったからといってそれが正しいとは限らない。そもそもその「偉い人」は何のために行動しているか。もちろん庶民のためを思い協力を要請している場合もあるが、実はそれは建前で単純に自身の利益のためだったり、庶民を縛り付けるためだったり、なんてことも大いにありうる。この場合、偉い人は正しいとする考えは彼らの独裁体制を作り、また強固にしてしまう。なお、「偉い人」は自然発生的に作られる場合も注意したい(ママ友関係におけるボスママなど)である。

 権力に服従する姿勢は、権力者が不服従者を押さえつけるだけでなく、巧みに大衆をコントロールして大衆にも力を与えてしまい、先述の効果も追加されることに注意したい。

 

「昔からそうだから」

 これは、元号使用や天皇の存続などにも当てはまるものである。昔はそうだった、あるいは昔からそうだからと言って正しいと決めつけるのは問題だ。その「昔」とやらにどういった経緯で決まったのかがわかっていない。どこかの偉い人が勝手に決めてそれを押し通し、同調圧力と権力によって維持していただけかもしれない。仮に当時合理性があったとしても今それがあるとは限らない。

 

何が正しいか、自分の頭で考えろ

 以上、思考停止に相当する理由付けを3つ紹介した。ここで挙げたことは自分で考えず、思考自体を他人に委任するものである。わからないときは他人の助けを借りてもよかろうが、依存しすぎた結果他人が悪意を持っていた場合、自身は都合のよいように利用され、また危機にさらされる。特に、ここで挙げた大衆や権力、時間に依存することは心理的(ものによっては自身に不利益を生じるような)圧力をかけてくるので、考え直すことがますます難しくなるので、最も危険である。