日本社会の疑問を考えるブログ

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思考停止の3パターン

 行動するためには思考する必要がある。このため、思考内容の良しあしによって行動の良しあしが決まるのである。従って思考停止した状態で行動するのは最悪のパターンといえる。ここではその最たる例となる行動の根拠を3つ挙げたい。

 

 

「みんなやっているから」

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 沈没船のジョークでも知られている通り、日本人によくあるパターンである。それが何らかの合理的な別の理由があり、合意形成によって全員の認識が一致したのであればよいだろう。しかし、特に理由を考えずただ多数派がやっているから、というのは思考停止に相当する。多数派がやっていたとしても、あくまでそれはブームに過ぎずそれ自体正当性を定義するものではない。また、多数派自体が何らかのバイアスを持っている場合があり、その場合正常に思考ができない。従って多数派にホイホイとついて行くのは危険であるといえよう。参考までに、このような例がある。

(初期設定)猿が複数いる部屋の天井にバナナが吊り下げられている。それを取ろうと引っ張ると、装置が作動し部屋に氷水が降りかかるようになっている。

①そんなことは知らない1匹の猿がバナナを取り、全員が氷水を浴びる。

②他の猿が入ってきた。①を経験しているので、バナナを取らせぬよう制裁を加える。

③これらが繰り返されるのだが、②などで新しく入ってきた猿は制裁する理由がわかっていない。また、この装置がまだ作動するのかどうかも分かっていない。

 このように、その合理性を分かっておらず、ただ先入観だけで行動しているか、理由すらわかっていない場合も少なくない。「みんなやっている」=「正しい」などと信じていてはその多数派の巧みな話術や圧力に押され、洗脳されて何が正しいか思考できず、そのまま行動してしまい、最後には自分が洗脳する側に回り、さらに多くの被害者を出すことになる。

 

「偉い人がやっているから」

 ある意味で一番危険な考え方である。「偉い人」がやったからといってそれが正しいとは限らない。そもそもその「偉い人」は何のために行動しているか。もちろん庶民のためを思い協力を要請している場合もあるが、実はそれは建前で単純に自身の利益のためだったり、庶民を縛り付けるためだったり、なんてことも大いにありうる。この場合、偉い人は正しいとする考えは彼らの独裁体制を作り、また強固にしてしまう。なお、「偉い人」は自然発生的に作られる場合も注意したい(ママ友関係におけるボスママなど)である。

 権力に服従する姿勢は、権力者が不服従者を押さえつけるだけでなく、巧みに大衆をコントロールして大衆にも力を与えてしまい、先述の効果も追加されることに注意したい。

 

「昔からそうだから」

 これは、元号使用や天皇の存続などにも当てはまるものである。昔はそうだった、あるいは昔からそうだからと言って正しいと決めつけるのは問題だ。その「昔」とやらにどういった経緯で決まったのかがわかっていない。どこかの偉い人が勝手に決めてそれを押し通し、同調圧力と権力によって維持していただけかもしれない。仮に当時合理性があったとしても今それがあるとは限らない。

 

何が正しいか、自分の頭で考えろ

 以上、思考停止に相当する理由付けを3つ紹介した。ここで挙げたことは自分で考えず、思考自体を他人に委任するものである。わからないときは他人の助けを借りてもよかろうが、依存しすぎた結果他人が悪意を持っていた場合、自身は都合のよいように利用され、また危機にさらされる。特に、ここで挙げた大衆や権力、時間に依存することは心理的(ものによっては自身に不利益を生じるような)圧力をかけてくるので、考え直すことがますます難しくなるので、最も危険である。