日本社会の疑問を考えるブログ

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「自称・普通の日本人」が考える「大人」の定義

 Twitterや各ブログを見ていると、「自称・普通の日本人」や冷笑系が自身の持論を展開しているのを見かける。その中に「中二病」という単語を見つけたので、その対義語と推測される「大人」の定義を考え、それをまとめたい。

 

 

絶対に日本を批判せず、韓国に八つ当たりする

 彼らのすさまじいところとして、なぜか日本批判をかたくなとして認めない点である。確かに、根拠のない誹謗中傷や明らかに嘘とわかるものについては反論してもよかろう。しかし、過労死問題や刑事司法の非人道性、行き過ぎた同調圧力による政治の独裁化など、根拠や事例が存在し、あるいは世界的に有名な問題ですら認めようとしないのである。これらを批判した場合、なぜか「あなたは日本のこういういいところを見逃している」「今の現状が最高だ」などと現状肯定をしだすのである。それ以外にも「海外にはこういう問題(無関係なもの)がある」、「そういうお前はどうなんだ」「このデータは嘘だ、欧米諸国の陰謀だ」「嫌なら出ていけ」しまいには「失せろ韓国人」などと思考停止して人格攻撃・論点すり替え・無意味なレッテル貼りに走るのである。

 さて、「嫌なら出ていけ」と書いたが、これは自国が批判されたときだけである。なぜか彼らは「お互い様」というフレーズが頭にないらしく、他国は思い切り誹謗中傷する。こちらも根拠やデータの提示は一切ない。あったとして出所不明のネット情報くらいだ。昔は中国に対してもそうであったが、Shenzen地区の興隆やHuaweiの台頭によりやっと日本が没落していることに気が付いたのか一旦は落ち着いた。しかし、それすら認めたくないのか、下に見えそうなものを作ってたたき出したようだ。その対象が韓国である。誹謗中傷の具体例として「韓国人臭い」「キムチを食べるのは低所得者」(日本文化チャンネル桜での発言)などがある。もはや批判の体をなしておらず、ただのウンコ投げ競争と同じレベルだ。いや、それより程度が低いか。

 ちなみに、韓国は急成長しており、やはり日本を追い抜くことが期待されている。例えば、理工系研究開発分野*1では、韓国科学技術院(KAIST)が急成長しており、発表論文数で東大を追い抜いている。で、世界大学ランキングでやはり東大含め日本の全大学を抜いた。これからは、研究開発分野だけでなく、製造など他分野でも日本を追い抜かしていくことが期待される。

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韓国科学技術院(Korean Advanced Institute of Science and Technology,KAIST)

 

 大衆&権威&伝統を無条件肯定

 そして、普通の日本人に見られる性質として、なぜか大衆が絶対正義と妄信してやまないことが挙げられる。確かに、思考バイアスがかかっておらず、十分に思考・行動能力がある人たちが独立に考えれば、自然現象のプロットが正規分布に従い、その平均・最大値が真の値といえるように、最大人数の考えが正確であると言えよう。しかし、日本人の場合教育の成果(?)やメディアの構成*2により思考・行動能力が完全に欠如している。従って何者かが悪意をもって操ろうとした場合それに容易に乗せられる。また、日本人は特に周りの考えに乗せられやすい国民性であるため独立に考えることもできない。*3さらに、その割には権威によって思考バイアスがかけられているため考えも偏っている。これらの理由により、大衆がいるところを目指しても、そこは偏向した考えしかなく、真に正しい考えではないのである。

 また、権威の言うことも疑ってかかることができないのも日本人の性質である。自分で考えることをやめ、権威が決めることだからと丸投げする。だから権威の決めたことはすべて正しい、与党政治家はすべて正しい、などと勘違いをするのである。当然権威が流したデマやプロパガンダも簡単に信じる。これが一般的に自民党が長期政権を担い、ほぼ一党独裁となったり、日教組だけ叩かれて清和活動研究会はスルー*4だったりした理由と考えられる。

 伝統についてもなぜか変えようとしないのが大人といわれる普通の日本人のヘンテコなところである。例えば、天皇の合理的存在意義を聞いたときは、「学校で帰納法を習いましたか?」などと言いだす。おそらく数学的帰納法だと思われるが、そもそも初期状態の正当性証明ができていないため、そもそもこの仮定が成り立たない。これは年齢主義といった儒教文化にも当てはまる。これらはいずれも、ただ何年も続いているだけで、それが真に正しいとは限らない。ちなみに、先ほど嫌韓の話が出たが、文化のうち韓国の者を継承しているものも多くある。嫌いならさっさとその文化を変えればいいのに、なぜかあれこれ理由をつけてやらないのが普通の日本人である。

  

バラエティ番組&日本・自民党礼賛メディア以外は理解できない

 バラエティ番組やワイドショー、エンタメといった、ただ芸能人がどうでもいい内輪ネタばかり話し、何の有用な知識にもならない番組しか理解できないのが普通の日本人だ。真面目なニュースや教養番組は全く理解ができない頭なのが日本人である。同様に、陳腐な日本礼賛番組が大好きなのも普通の日本人の特徴だ。ただトイレから水が出ているだけなのにやたらそれを持ち上げる。ただ外国人が「へー、すごいね」と社交辞令程度の反応を返した際も「素晴らしい!こんなものウチにはない」などと過度に誇張する。ジャロに通報した方が良さようなものばかりだ。

 同様に、自民党礼賛メディアが大好きなのも重要な性質だ。根拠のない誹謗中傷やら昔のことを過度に蒸し返した非難、無関係なことを結びつけるなどで、過度に他の政党を誹謗する。だとすると自民党も当てはまることも多数あるが、なぜかそちらは誹謗されない。

 これは、おそらく普通の日本人のニーズであろう。現に、それをくみ取ったような記事構成ができているものもある。それがYahoo! JAPANだ。

 

だったら大人になりたくない。中二病でもいいや

 以上が、「自称・普通の日本人」が言う「大人」の定義だと推測される。結局大人というのは、どんな不都合があろうとも現状肯定し、逆に解決しようとするものの足を引っ張って自己満足し、不安を紛らわすため思考停止してエンタメや八つ当たりに走るものだ。こんな大人を見ていると大人にはなりたくないって常々思える。むしろこういう大人は社会の害悪でしかない。

 彼らが我々のことを中二病というのであれば、むしろそちらの方がよい。中二病と呼ばれる人たちは現状に問題があれば絶えず思考行動し社会をよい方向へもっていくことができる人たちであるからだ。

*1:人文・社会科学系分野は日本の方がずっと上だ、などと愚にもつかない反論をする人がいるので、ここで断っておくが、最近最近だと政府側がこういった分野への助成をやめるよう提案し、実際にそうしているため、こちらも衰退していることを追記しておく。

*2:エンタメやワイドショー、バラエティ番組の比率が高いことを指す。

*3:要するに、マルチ商法と同じことが起こっている、というわけ。

*4:体罰問題。特段日教組系教員だけが体罰をふるっていたわけでなく、清和活動研究会系の教員もそうであり、むしろこちらの方が体罰を肯定していたため、より多く体罰を起こしていたといえる。なお、筆者は体罰を肯定しているわけではないことを付記しておく。

「自称・社会的強者」への違和感

 Twitterを見ていると、しばしば社会的強者(富裕層、資本家、経営者、与党政治家など)を過度に擁護しているものを見かける。実際に社会的強者ならともかく、そうでもないのにこんなことをしたがる人が多くおり、違和感を禁じ得ない(実際、「貯金50万目標」「月給15万」などとお世辞にも社会的強者ではないとわかるツイートをしている)。そこで、ここではその違和感について述べたい。

 

 

不利益につながるのに崇拝している

 彼らは社会的強者ではないにもかかわらずそれを擁護する発言を数多くしている。具体的には「高所得者所得税を上げろって、かわいそうだと思わないの?」とか「消費税を上げろ」などである。また、共通点として、弱者切り捨てや富裕層・大企業優遇政策を展開している自民党(安倍政権)を支持しているものが多くみられる。

  もう一度書くが、自民党は弱者切り捨て・富裕層優遇政策を多くとっている。それにもかかわらずなぜか彼らは自民党を支持している。支持し、政権が続けば当然富裕層優遇の政策が続く。また、その優遇の程度がさらに大きくなる。なお、自民党の人間は「トリクルダウン」すなわち富裕層を儲けさせればその利益がその他へ再分配されることを強調していたが、全くそんなことは起きていない。ただ富裕層の儲けが増えただけでそれ以外は何も起こっていない。

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トリクルダウンの理想(上)と現実(下)を描いた風刺画。続きとして、外国人投機家が一番上のグラスにストローを差してワイン(=利益)を吸い取っているものもある。

 となると、社会的強者ではなければ、自民党を支持することは 自身の不利益につながる。また、社会的強者を擁護したとしても彼らがますます儲かるだけで何の利益にもつながらない。むしろ彼らが調子に乗って搾取に励もうとする。

 このように、富裕層や自民党を擁護したとしても自身の不利益につながるだけである。不利益に自ら飛び込んでいく理由が理解できない。

 

社会問題を考える頭がない

 日本には数えきれないほどの社会問題がある。だが、彼らはそれを認識していないか、甘えの一種か、左翼や朝鮮人が勝手に作ったデマだと思っているようだ。その証拠に「それは自己責任だ」「まともにやっていればこうはならない」などと繰り返し言う。周囲の環境要因や社会的要因などを全く考慮しない。さらに、なぜか不幸自慢・苦労自慢をしたがるようだ。「俺が若いころはこのくらいじゃなかった」「俺はもっと苦労した」などと。

 最近だと、カネカ株式会社が、育児休暇取得への嫌がらせとしてある男性社員を急に転勤させようとし、かつ退職までの有給休暇を拒否した問題で、「こんなことをするのって社会人というか男としてどうかと思う。まぁそのうち炎上するでしょ」などと発言する人がいた。これから見ても、社会問題を解決しようとするより既存の質の悪いルールに悪乗りして足を引っ張る性質があることがわかる。

 このように、社会問題の原因を分析することが全くできない人たちである。また、なぜか不幸でいることがお好きな人たちで、苦労している自分かっこいいなどと勘違いをしている。おまけにその苦労を人に押し付けようとする質の悪い人たちである。結局はみんなで幸福になるよりみんなで不幸になった方がよくて、足を引っ張って自己満足をする人たちなのである。

 

「感謝」を強要する

 前の項目で「苦労を押し付ける」と書いたが、同様に「感謝を押し付ける」ことも大きな特徴だ。つい最近だと堀江貴文氏がデモに対し「税金泥棒」とツイートした件に関し、賛同して「富裕層のおかげで生きていることを知った方がいい」などとツイートする人たちのことを指す。

 確かに感謝するのはとても良いことだ。しかし、なんの恩恵も得ていないのに感謝できるはずがない。ましてやそれを押し付けられ、社会問題解決へ向けた行動の足を引っ張るために使われるとなると、ますますその感謝の強要に悪意が潜んでいると考えざるを得なくなる。

 また、この感謝を強要することについてだが、もう一つ危険な面がある。それは裏を返すと「社会的弱者は社会に迷惑をかけている」という思考につながる点である。それがエスカレートしたのが相模原市障害者施設での大量殺人事件である(実際犯人を擁護するコメントが多くみられた)。社会的弱者だろうと犯罪行為をしていなければ何の迷惑でもないにもかかわらずあたかも迷惑だと錯覚させる発言をするから困りものだ。むしろ社会的強者の方が搾取に励んでいたりとそちらの方が迷惑な気がするのだが…。

 

強者のふりをしても強者にはなれない

 分析してみれば、社会的強者でもないにもかかわらず、以上の行動をしている理由がわかった。これら行動はあくまでその一部で、結局は社会的強者に成りすましているだけだろう。その理由として成りすますことであたかもそれになった気分になり、そういう自分に酔いしれているのだろう。

 ただ、成りすましたところでそれはなりすましに過ぎないことを言っておく。つまり、成りすまししたところで実際にそれにはなれない、ということだ。わかりやすいたとえ話をしよう。中年のハゲたおっさんがイーストボーイのなんちゃって制服を着ただけで女子高生になれると思うか?当然答えはNoだ。これと同じで、社会的強者の真似をしても社会的強者になれるわけではない。

 社会的強者になるためには投資や経営などで成功するしかないが、結局そうなるためにはなりすましではなく初めから自分がそうするのが一番だ。どうしてもそれができないなら、少しでも自分が豊かになるよう行動すべきだ。例えば先ほど挙げた例のようにデモやストライキを繰り返し行い社会的強者と交渉、最終的には決闘し、権利や福祉、富を奪い返されなばならない。

 最後に言っておく。社会的強者の真似をして彼らを擁護し、社会問題解決の行動を冷笑していてもあなたの生活は豊かにならないことを。

差別を解消しない日本人

 差別を見た場合、それに声を上げ権利を認めさせるのが常識だが、なぜか日本ではそれがよくないものとされている。ここではその文化を批判する。

 

 

Unconscious biasと差別への気づき

 過去にあった経験を拡大解釈したのか、それとも元々あるものなのか、自分では気づいていないが差別的な思考及びそれに基づく行動をしていることを無意識の偏見(Unconscious bias)という。これが差別の原因となるが、差別が起こった際それを直ちにやめるよう、そして被差別者の権利を認めるようすぐに行動を起こすのが欧米人である。実際、トランプがLGBTに対する差別的言動とした際は

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このように、多くの人が集まり抗議活動を展開した。時系列は前後するが、欧米ではこのようなデモ活動が昔から積極的に行われており、結果様々な差別が存在することが知られており、彼らの権利が認められてきたのである。

 

 最近の話題だと、LGBTである埼玉県の高校教諭が、オーストラリアに移住したとき、日本では偏見のせいで自身がLGBTであることを隠して生きなければいけなかったのに、現地ではLGBTの別の男性が堂々と公言していて、隠す必要がなかったことを悟ったという。ちなみに日本では、安倍晋三が「公言しなくてもいい社会を作る」と、まるで言っては社会的に抹殺される社会にしようとしている発言をするほどだ。

 

差別を見たときの日本人の行動

 一方で、差別に対する日本人の思考はとても遅れているといえる。主な行動として、そもそも日本スゲーという妄想に浸っていて気づかないか、差別を見て見ぬふりをする。気づいていたら気づいていたらでいつものお家芸・被害者叩きを始める。全く関係ないところを結びつけては被害者を非難しだす。

 

 差別が表面化したら、なぜかその差別を正当化するのが日本人だ。例えば最近の医学部女性・年長者締め出し問題については「女性は子供産んで辞めるでしょ」「年長者は勤続年数が少ないから、年少者に席を譲れ」などといい、差別をかたくなに認めようとせず、区別だと言葉遊びを始める。

 

 差別撲滅運動を悪くみるのも日本人の遅れているところだ。元々決まっているからあるいは上が決めたものには逆らうのは絶対悪と決めつけている。で、行動しようとするものを馬鹿にしだす。いわゆる現実主義者の面を被った冷笑系だ。

 

 こういった差別の現状が認知され、権利獲得への運動が活発になってくると今度は「差別するものを差別するな」「不寛容に寛容にならないのはいかがか」「差別される権利がある」などとやはり言葉遊びをして反対しだす。別に彼らの権利を認めたところで何の不利益もないのに、なぜ権利を阻害したがるのか理解に苦しむ。

 

権利は認められてしかるべきだ

 タイトルの通り、差別があればすぐにそれを解消し、今まで差別されてきた人のあらゆる人権を認めるべきだ。このために、差別をされていた人もどんどんメディアで現状を問題提起すべきだ。そしてデモを何度も起こすべきだ。冷笑系や政府に負けてはならない。

 

 差別を正当化する者が言うような理由がある場合は、それを補うような方策を考え実行すればよい(例えば先ほどの女性・高年齢者の問題なら、それでも問題なく回るよう人数を多めに確保するなど)。


 逆に、差別を温存したがる組織や人はさっさと淘汰されるべきだ。差別は悪であるにもかかわらず屁理屈をつけて改善を渋るのは社会の前進を阻害する。自信に利益があるからだとか、足を引っ張りたいからだとか、理由は関係ない。社会の新陳代謝として彼らを淘汰せねばならない。同時に、我々はそのようなものを淘汰させるべく、そういう者は(企業の場合)利用・購入しない、信用しない、(政治家の場合)投票しないの3ない運動を心がけよう。