日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

広告の鬱陶しさを棚に上げて、広告ブロックが許せないとな?

 インターネット広告の増加に伴って広告の量が増えた。となると、目障りな広告も出てくるのであるが、そのニーズに対応したものが広告ブロックツールである。しかしながら、広告ブロックツールを「悪」とする意見もある。そこで、ここでは広告ブロックツールの正当性を述べたい。

 

 

うっとうしいインターネット広告

 様々なWebページが作成され、各企業同士の競争が激化するにつれ、そのページに広告をつけることが増え、今では(収益がどこへ行くかには違いはあれど)*1ほぼどのページにも広告が付いてくるようになった。

 

 一般的な広告はページの隅に物静かにいるものであるが、広告の増加による市場のレッドオーシャン化に伴い、非常にうっとうしい広告が出てきた。具体的にはメインコンテンツ部分にも広告がかぶさっている(大概やたらと多くあるか、やたらと大きい)もの、ページ(動画)閲覧途中で割り込んでくるもの、いきなり別のサイトに飛ばされるもの*2などがある。

 

 一応それらを手動で消すことはできるが、これにも対策がなされていることが多い。そもそも消したりスキップしたりするボタンがなかったり、あるにはあるが非常に小さいか消そうとカーソルを近づけるとすると逃げる(一時的に消えるがまた現れる)もの、消してもまた現れるものもある。

 

 これらは特にスマホに多い。なぜなら、スマホは画面が小さく、また標準ブラウザにつける広告ブロックツール自体がないため、画面を広告で埋めておけば誤タップによる広告収入につながるからだ。

 

広告ブロックツールとは?

 各ページは専用の文法により記述されている。それは広告の部分も例外ではない。広告ブロックツールは、広告を記述する部分をデータベース化し、それとの一致が見られた部分を非表示にするプログラムである。なお、サイト側のプログラムを改造しているわけではない。イメージとしては、テレビ番組の間にあるCMが流されている最中はテレビを消しているようなものであって電波ジャックして放送内容を変えてしまうわけではない。要するに広告を見ないのはツールを持っている人だけであって広告配信や他人が広告を見ることを妨げるものではない。

 

これで多くの広告は消えるが、それでも消えないものがある。大きく分けて2つあり、そのようなデータベースに追加され忘れたもの(もちろん広告主がデータベースから外れるように広告を作った場合も含む)と、広告主がブロックツール制作元に金を払って除外してもらう(Yahoo Japanはこれに該当すると思われる)場合がある。いずれにしても個別ブロック設定ができればこれらも消すことができる。*3

 

 ちなみに、私の場合はYahoo Japanの広告に嫌気がさしたので、片っ端から広告を消していったらこのようになった。ちなみに、同社のサービスを利用しているときにブロックされた広告数を数えると、当たり前のように数十個に上る。また当該ツールを使い始めたとき、開始1時間で100件以上もブロックされた。

 

f:id:fuckjapaneseculture:20200906184931p:plain

バカな鉄ヲタもいるんだなぁと思いながらすっきりとしたトップページを堪能しています

 

 さて、一部サイト運営者の中にはこのようなブロックツールを悪と考える人が多くいる。そこで、ここでは彼らの主張に反論したい。

 

広告ブロック批判への反論

広告ブロックと法律・利用規約について

 「広告ブロックツールは違法性がある、もしくは利用規約に抵触する」というものである。

 

 しかし、当然ながらそれを記した法律はどこにもない。六法全書を見てみればよくわかる。法律で禁止していないのだから、合法であり、違法であるとも刑罰を受けるべきともいわれる筋合いはどこにもない。それどころか、ドイツでブロックツール製作会社が広告代理店に訴えられた際、見事に原告の敗訴となり、ブロックツールの合法性が証明されたのである。したがって、日本でもこういった反例が取り入れられ、改めてブロックツールの合法性が示されることになると思われる。

 

 そして、利用規約に違反するかという話だが、多くのサイトでブロックツールの使用を禁止していないことは、利用規約を読み返せば明らかである。禁止しているのは「システムをハッキングして改造すること」であり、ブロックツールは原理上これにあたらない。

 

 どうしてもブロックツール利用者を排除したいのであれば、その旨明記しておけばよいものを。なお、「広告をつけています」だけでは不十分だ。それでは広告があることしかわからないからだ。要するに、利用規約に「当サイトは広告で利益を得ています。広告ブロックツール利用者を検出した場合、IPアドレスを特定して賠償請求します」とでも書いておけばよい。だが、なぜかしないんだな、これが。

 

広告と記事の品質

 次に気になった主張が「サイト運営者は広告によるインセンティブをモチベーションにして、記事の品質を保っている」ということである。

 

 これも疑わしい。実際、ただ広告(上記のような鬱陶しい広告含む)をたくさん貼っただけで、中身はどこかのサイトや動画の丸パクリ(コピー&ペースト)に過ぎないものも多数ある。これは広告をたくさん貼っているから運営者に多くの収益が行くはずだが、はたしてこれが高品質であるといえるだろうか。

 

 それと、広告収入があればあるほどモチベーションが高まって高評価な記事が書ける、という実証的研究は存在しない。というか、「高品質な記事」ですら主張者の主観でしかないのに、「広告を貼れば記事が高品質になる」という因果関係は存在しない。要するにこの主張自体がまぎれもないウソであるというわけだ。

 

無料コンテンツに対する対価

 先述のインセンティブと品質の関係に似た話であるが、一番主張されることである。「無料で見せてあげているんだから、その対価として広告も見ろ。広告をブロックするのは窃盗と同じだ」というものである。

 

 

 先ほども述べたように、広告をブロックすることは違法ではない。従ってこちらがわざわざ広告を見るあるいは表示する義務はない。「窃盗」という主張に対しても、コンテンツを剽窃(無断コピー)しているわけではないのでその主張はあたらない。

 

 

 また、このたとえ話として「学校給食をタダで食べる行為」と言われていたのを目にしたが、これも的外れである。例えで挙げている給食は元々が有料であるがWebページの閲覧は元々が無料であり、前提が異なるためである。これは他の有料商品など、受け手に債務が発生するものに対する例え話全般に言える。

 

 むしろWebページは駅前で配っているサラ金の広告付きのポケットティッシュと例えるのが適切であろう。これに当てはめて考えると、広告ブロックツールはティッシュだけもらってサラ金を利用しない、あるいはサラ金の宣伝を抜き取って捨てることは悪である、と言っていることと同じになるわけだ。当然多くの人はサラ金など利用しないし、中にはサラ金の宣伝だけ捨てる人もいる。実際この行動は一切責められるものではなく、逆に上記の主張をしたところで受け入れられない。よってたとえ話の面からも広告ブロックツールの問題性は認められないわけだ。

 

 

 それ以前の問題で、「無料で見せてあげている」と言っているが、ならばなぜ無料で見せているのか、ということになる。そもそも広告自体貼るにあたって何らかの審査があるはずだ。また、記事の内容によって広告契約自体が破棄されることもありうる。すなわち、その審査に通らなければ広告は貼れず、いくら記事を書こうが対価などない。要するに、無料で見せている時点で、広告が貼れない可能性がある以上その対価が保証されるわけがない。

 

 要するに、対価が欲しいのであればわざわざ無料の代わりに鬱陶しい広告をつけるのでなく、初めから有料サービスにすればよいわけである。実際、noteやKindle storeなどは有料設定ができるわけで。

 

 

 結局のところ、個人的に「こんなことされたらおまんま食い上げやんけ」と言いたいのを道徳的価値観にすり替えて正当化するのはいかがなものか、ということだ。

 

そもそもの問題は広告が鬱陶しいこと

 広告ブロックツールを悪と決めつける前に、広告ブロックツールが開発された背景を考えよう。もし広告が鬱陶しくなければそんなものに対する需要はなかった。しかし需要があるということは、最初に例示したような鬱陶しい広告がたくさんあるからに他ならない。儲けに必死になっているあまりメインコンテンツを邪魔してまで広告を乱造し、使用機器や調べものの効率を落とす。だから広告ブロックツールが利用されるわけである。どうわめこうがこの事実は変わらない。

 

 要するに、広告ブロックツールを恨むくらいなら、あなたが貼っている広告の鬱陶しさを恨め、ということである。同様に、「広告ブロックツールを使うなら私のサイトを見ないで」というのであれば、検索結果に引っかからないように調整するなり、あなたが管理するサイトの全ページに先述の利用規約のようなことを書いて検索で見えるようにすべきだ。そうすれば寄らなくなるから。

 

結論

 広告ブロックツールがあるのは鬱陶しい広告がやたら多くある割には、そういう広告をつけたサイトが検索に引っかかるからである。いくら広告ブロックツールが悪だと叫んでも、そういう広告が改善されない限りはブロックツールが衰退することはない。

 

 「このままブロックツールが広告をつぶしていったら面白いサイトがなくなる」というのも幻想だ。某芸能人が「嫌なら見るな」の直後に「テレビ潰したら見るもんなくなるで」といったのと同じレベルで、要するにコンテンツの面白さとか道徳的価値観はどうでもよく単に自分の利益が減るのをこういったもっともらしい理由で正当化しているに過ぎない。

 

 むしろ、鬱陶しい広告の淘汰が進むのはとても良いことだ。広告がやたらたくさんあってコンテンツの利用に支障があるようなサイト、コンテンツ自体が低品質なサイトは淘汰されていく。有料サイトばかりでも、必要なものだけお金を払って使うことで、インターネットの利用習慣もより合理的かつ平和的になるであろう。

*1:私のブログについているのは、私ではなくはてな側に収益が行くものである。無料プランのため、消せないとのこと。

*2:この多くはコンピューターウィルス感染や懸賞当選などを騙り、個人情報を盗み取るサイトへのアクセスやアプリのダウンロードを勧めてくるものである。おどろおどろしい音やカウントダウンなどで不安をあおるが、放置しておいても何も起きない。ただし、ブラウザバックで元のページには戻れないので、一旦ブラウザを閉じることになる。

*3:もちろん、サイト側も対策している場合がある。具体的には広告周りを別の要素で覆うことで消した場合必要な部分もすべて消えるようにする、たくさんの広告要素を用意することで消しても別のものが出るようにする、ブロックツール起動時にサイトが使えないようにする(アンチアドブロック。これもブロックツールで無効化できる)、有料プランへ誘導するなどがある。

コロナ騒動の良かったところ

 昨年12月ごろ発生し、世界に蔓延した新型コロナウィルスにより、我々は生活スタイルの変化を余儀なくされたが、なんだかんだで楽になったと感じる。

 

 そこで、コロナ騒動による生活の変化でよかったと感じたところ、学生及び労働者の2つの視点からを記したい。

 

 

両方の視点

f:id:fuckjapaneseculture:20200710215747j:plain



 大きな利点としては、長時間の移動をしなくてよくなった点である。

 

 多くの学校や会社は朝9時(場合によってはそれ以前にもなる)に一斉に始まる。そのためだけに朝6-7時に起き、8時前の混雑した電車に乗り、ヘトヘトになって移動する。毎日の移動で相当疲れているのか、毎日のように急病人と痴漢が発生する。

 

 しかし、コロナウィルスの影響で多くの人が登校や出勤停止を余儀なくされ、オンラインでの在宅受講や勤務をすることになったことで、移動により体力を減らしストレスをためることがなくなった。同様に、授業・勤務開始直前まで寝ることができるので睡眠時間を十分とれるようになった。さらに、実際の現場にいることによるコミュニケーション疲れも大幅に減らすことができた。

 

 

 「運動ができなくなって不健康になる」という声があるが、これはそうでもない。時間が空いたことでジムへ行って筋トレやトレッドミルなど、なければ近くでランニングやサイクリングをすることで汗を流すことができた。

 

労働者の視点

 主に在宅勤務の優位性と過剰サービスの不必要性が強調された形になった。

 

 在宅勤務の優位性については以下で記したとおりである。

 

fuckjapaneseculture.hatenablog.com

 

 先ほどの節と同じことであるが、具体的に言えば仕事中に周りがうるさく雑談やらを始め、場合によってはこちらを巻き込んで邪魔をする。で、定時が過ぎたら普通に他人に仕事を押し付け、断ると不親切だの怠けものだのよくわからないことを言う。

 

 しかし、在宅勤務ではそのようなことは全くない。会議時間以外はしゃべらないパソコンしかないので集中でき、効率的な作業ができる。早く仕事が終わればパソコンの電源を切ってプライベートな時間になる。一方で好きな時間に休んで好きな時間に作業できるし、会議であっても自分とは関係ないことを話しているのであれば無視して作業することもできる。

 

 さらに、何かとめんどくさく心身の疲労の原因となる飲み会などといった行事もなくなり、十分な休息が取れるようになる。

 

 

 在宅勤務以外にもよくなったものがある。それは接客業における過剰サービスを休止したことである。例えばスーパーマーケットのレジでは手で直接お金を渡さずトレーを使う、値段読み上げといった声を出す接客を減らすなどである。

 

 一般的に日本の接客業は低い賃金で高いサービスを要求される。しかし、このような事態でいったん休止せざるを得ない状況になったことで、そこまでのサービスが本当に必要なのか考えるいい機会になるだろう。

 

 ちなみに客にとっては特に迷惑ではない。サービスが減ったとしても特に迷惑や損害を被るわけではない。せいぜいクレーマーが嫌がるくらいだ。別にそういうのは何かといちゃもんをつけてくれるので、さっさと消えてくれた方がありがたい。

 

学生の視点

 学生にとっても素晴らしいことであった。同様にオンラインシステムを使った講義を取る形式になった。

 

 毎年ライブ授業を取る大学が一般的だが、講義は通信状態で画面共有(スライドの提示やOneNoteによる板書など)しながらしゃべればいいだけだし、演習も問題を配ってそれを解かせて提出させればいいだけである。*1私はコロナ騒動前に記事を書いたが、それが現実化しているようであった。

 

fuckjapaneseculture.hatenablog.com

 

 しかしながら、これでもライブ授業ではあった。何度も見返せる点やいつでも受講できる利便性・教員にとっては講義をする必要がほとんどなくなる効率性を考えると、録画授業をして配信した方がずっと良いとは思う。

 

 また、講義室はうるさいのが常であるが、自室で講義を受けられるようになったのでそれによる悪影響もほとんどない。さらに、チャット機能を利用して気軽に質問することもできるようになった。

 

 

 成果がものをいう演習では、在宅勤務と同じく課題を終わらせられれば、あとは自分のペースで進められる。終わったらさっさと提出できるし、前もって課題が配られる場合(講義の宿題となっているが次の演習の時間で行うことを想定しているものなど)では、講義後当日中にさっさと終わらせて提出すればその演習には出なくてよい。

 

 

 さて、実験装置を扱う類の研究は一切できないが、私の場合手先の不器用さと昨年教授と大喧嘩したことが原因で研究が頓挫していたため特に何のダメージもなかった。しかしながら、学内カウンセラーを間に挟んで協議をした結果、できる限り登校しなくてよい(理論計算がメインとなる)研究テーマに変えてもらった。そのために文献を読み知識確認のため要約文を提出するのだが、当然在宅で何の問題もない。

 

 また、日本的コミュニケーション力と教授との仲が大いに影響するface-to-faceでのディスカッションもすべてSlackでのチャットに置き換わったので、非常にコミュニケーションが楽になった。

 

コロナが収束してもこの生活の方が楽かも

 以上、コロナウィルスの影響で変わった生活の良かった点を述べた。これらは一時的なもの、ととらえられがちで、何らかの緊急事態が発生しない限りこのようなことは認められない場合が多い。

 

 しかしながら、この生活は非常に楽なものであり心身のコンディションを整えるためにも、このような生活様式が続けるべきだと思うし、また次に来る緊急事態*2の予行演習という意味でも通常時から頻繁かつ定期的(もちろん永続的に行うのでもよい)に行うべきであると思う。

*1:さすがに実験・実習はできない。これらはコロナウィルス終息後に集中講義として開講するとのことである。

*2:何もできなくなるような緊急事態であっても強行しろと言っているわけではないことに留意されたい。

カルト化しやすいコミュニティの見分け方

 世の中には学校や会社、ママ友グループといった様々なコミュニティがあり、おそらく人生のどこかでこういったものに入る機会がある、いや何らかの制約などにより否応なく入る必要があるだろう。

 

 ここでは、カルト化しやすいコミュニティの特徴を述べ、そういったコミュニティを避けるための選定指針を考えたい。

 

 

人生とコミュニティ

 ここでいう「コミュニティ」とは、複数人の人が所属するグループで、長期間の所属およびその中で構成員同士の意思伝達が行われているものを指す。つまり、加入手続きが必要なものはもちろん、何らかの枠組みになっているものはすべて「コミュニティ」であるが、人が集まっているだけで何も起こっていないものはコミュニティではない。

 

 

 生まれたらすぐ「家族」というコミュニティに入り、しばらくすると幼稚園・小学校…、卒業したら会社に自治会・PTA、定年退職した後も家族などのコミュニティに居続ける。いや、国という枠組みがある以上国籍を捨てない限り一生そこに入っている。このように、人生の中でコミュニティに属さないことはほぼないといっても過言ではない。

 

 しかしながら、コミュニティやその構成員はときにカルト教団(これもコミュニティの1つである)とうり二つの振る舞いをすることがある。そこで、ここではカルト化しやすいコミュニティの特徴とそうなったときの振る舞い、またそういったコミュニティを避けるための方法について考えたい。

 

カルト教団とコミュニティ

f:id:fuckjapaneseculture:20200703143603j:plain



 どことは言わないが日本だけでなく世界各国に「カルト」とされるコミュニティが存在する。彼らは上層部への忠誠あるいは信念により様々な犯罪行為を働き、時に人を殺める。

 

 多くのコミュニティは現状そこまでは至っていない。しかしながら、その兆候のあるコミュニティは数知れず存在する。そこで、どのような兆候がコミュニティのカルト化につながるか述べていく。

 

構成員にコミュニティへの忠誠と過度な貢献を求める

 コミュニティなどこちらに利益がある(例えば会社なら金儲けができる、大学なら専門知識が得られるなど)から入っただけであるか、こちらが何も希望していないのに勝手に入れさせられている場合がある。従ってコミュニティには何の感情も持つ必要はない。

 

 にもかかわらずそういったコミュニティは構成員に対し忠誠を求める。具体的には「指導者の言うことおよびコミュニティの意向は絶対である」「上層部が指示したことはいかなることでも従え」を指導者もしくは上層部、構成員が提唱し、それを強固にしている。なお、指導者でなくても構成員がこの雰囲気を形成することもあることに留意されたい。例として、経営もしていない労働者が「飲み会に来ない奴は社会人失格」とか言ったり「経営者視点を持て」などということでそれが強制されることが挙げられる。

 

 また、過度な貢献を求めるのも特徴である。金銭や労働力などを要求するが、そのリターンはほとんどない。むしろ「やりがい」とか「ご利益」といった確実性のないものでお茶を濁す特に今日のような緊急事態時はそれを口実により大きい負荷を強いようとする。

 

 さらに、やめようとする人、やめた人に対して過度に冷淡だったり過度に攻撃的になる節がある。

 

コミュニティへの批判を許さない構成員

 前項でカルト的雰囲気を形成する構成員について述べたが、このようなコミュニティにおいては構成員は洗脳されている。

 

 洗脳というのは合理的思考を経ずにそのコミュニティを妄信することである。従って前項のようにどんな理不尽にも忠誠的になるし、その理由など存在しない(あったとしても合理的推論により簡単に崩れる)。

 

 そして、その組織への疑問や批判を聞いた際、過度に感情的になり相手を攻撃しだす。これはそのコミュニティに自身が存在し、指導者やそのコミュニティに対し忠誠する合理的理由および疑問や批判への合理的回答を持っていないためである。

 

 これも具体例を考えないと難しい。そこで特にこの傾向が表れやすい例として、ネット右翼の反応を考えよう。日本のあらゆることに対し疑問を抱き批判したとしよう。例えば

 

 ・安倍晋三の「説明責任」って何?どう責任を取っているの?言うだけなら誰でもできるけど?

 

・そもそも先に韓国を侵略したのは日本であって韓国が怒るのは当然だけど、なんで日本が逆切れしてるの?

 

・日本は労働環境が劣悪だけど、なんで改善できないの?

 

天皇を被災地によこすくらいなら食糧の方がよくね?

 

 こう発言すると、何のことはない。ネット右翼が集まって呪詛の言葉を吐き散らしてくる。よくある光景だし、私もTwitterで遭遇したことがある。よくあるものとして

 

・突然国籍や年収といった属性を断定しようとする→「韓国人だからそう思うのか」

・聞いてもいない外国のことや質問者側のことに触れる、質問を質問で返す→「お前よりかはましだからw」「韓国よりかはましでしょ」

・思考を放棄する→「負け組は文句ばっかり。政治家になればいいのにね」「だったら日本から出ていけ」

 

 まとめると、「攻撃的になる」「論点をすり替えるなどして合理的な答えを出そうとしない」「思考を放棄する」といった感じである。

 

意味不明なことしか言わない指導者

 指導者も狂っている。もちろんおかしな構成員が狂わせていく場合もあるが、この場合は元からである。よくわからないビジョンを掲げるが、結局は構成員を搾取するためでしかなかったりする。具体的には、「美しい国」ときれいごとを言っておきながら実際は国民を縛り付けて戦争に連れていく魂胆が丸見えの総理大臣とか。

 

この特徴とカルトの関係

 今現在はそうでなくても、指導者や構成員がおかしなことをするせいで、コミュニティ全体がおかしくなる。さらに、過度な忠誠や貢献を求めることで構成員全体が疲弊し、自身が受けた理不尽を正当化しようとイエスマンになる。結果コミュニティに対する疑問や批判を認めず、全体がカルト化していく。

 

 その成れの果てがオウム真理教イスラム国などである。殺人を犯した結果があるだけでここで述べた組織と何ら変わらない。逆に言えばカルト化した組織はいつ犯罪に走ってもおかしくないわけだ(特に国家ぐるみのもの)。

 

こういったコミュニティは日本に多い

 日本人の性質上理不尽には反発せず(これは武士道精神などと美化されている)、イエスマンになりやすい。また同調圧力が発生するため問題提起による改善も難しい。このような理由から、カルト化しやすいコミュニティは日本に多いといえる。

 

カルト化したコミュニティを避けるための2つの視点

早くそこから抜け出す(治療的視点)

 応急処置としては、まずはコミュニティからさっさと抜け出すことを考えることである。会社なら転職といった具合である。なお、抜けても問題ないだけの資本(金銭など)を十分得ておくことを忘れずに。

 

 学校のように抜けようとしても制度上できない場合やそうすると今後のキャリアなどで問題になることがある。この場合は最低限の義務だけを果たし、それ以外は一切かかわらない、という方針で行くよい。

 

 

 もちろんこのようにドライな関係を保った場合、構成員や指導者から何らかの迫害を受ける可能性が高まる。しかし従ったところで奴隷からのスタートだし、いつ立場が最下層に落ちるかもわからないし、うまくやっていけてもイエスマンにならないといけない、ということを考えると従うのは損が大きい。

 

 すなわち、コミュニティは利用するためのものでそれ以外はどうでもいい、くらいの感覚でいるのがよい。

 

そこへ近づかない・入らない(予防的視点)

 最後に、このようなカルト化しやすいコミュニティを避けるための方法を述べる。指針としては、以下のようなコミュニティを選べばよい。

 

 

貢献に対する報酬が正当である。報酬を心理的なものでごまかさない。

 

構成員が過度に忠誠、貢献しようとするとき、上層部などがそれを止めてくれる。例えば、「あなたは十分働いているからさっさと帰りなさい」などと言ってくれる。特に、緊急事態時どのような挙動をするか観察すること。「緊急時だからこそ一世一代の仕事をしましょう」などと言ったら危険。

 

辞めたいといったとき、快諾、応援してくれる。決して「辞めたら不幸になる」などと言って恫喝せず、やめようとする人やそうした人に差別的な扱いをしない。「そうなんだ。オッケー、頑張ってね!!」などといってくれること。

 

疑問や批判に対して攻撃的にならない。合理的な理由で答えてくれる。もし改善すべき点なら、その立場によらず意見を取り入れてくれる。

 

・様々な性別、年齢、人種、国籍、障害、性的指向の人々が集まっており、彼らに対し十分な配慮がなされ、多様性が担保されていること。