安倍晋三が使ったことで有名になった言葉「忖度」。それそのものは他人の気持ちを推し量り配慮することなのでよいことではあるが、それを政治に対して行うとよくないことが起きる。
不適切な忖度とは
「忖度」のもともとの意味は「相手に配慮すること」である。個人間でそれを行い、助け合いができればよいのだが、それが政治や国家に対して行ってしまうと、途端に政治は悪いものとなる。例えば、指導者や高位にいる政治家が何らかの不正をしたり国民などに対し不利な取り扱いをしたとする。このとき、「まぁ指導者だって大変だしいいだろう」などと見過ごしてしまうと、途端にその指導者が調子に乗ってしまう。結果、ますます不利益な取り扱いをしたり、挙句の果てには権力を暴走させる原因となったりする。
三権分立が機能しなくなる
本来、立法・行政・司法はそれぞれが権力者の思うがままにされてしまうと権力者による恣意的な運用ができてしまう。これを避けるために、これらを独立運用し、かつお互い批判的に監視しあう方法がとられており、これを三権分立という。
しかし、 どれかが別の機関に「忖度」するとどうなるだろうか。この場合、「確かに問題ではあるけれど、まぁ仕方ないよね。見逃そう」ということになる。この時点で「お互い批判的に監視しあう」ということを怠ったことになる。
一度これを国民の目を欺いて怠ってしまえば、次もやってしまうことは火を見るより明らかだ。誰も監視してこないし、「忖度」されるのだからばれたとしてもおとがめなしだろう、ということになりかねない。
結果、三権独立は達成されないどころか、これらが指導者により恣意的に利用される事態が発生してしまう。現に、行政府の所属であるはずの人物が「私は立法府の長である」とふざけたことを抜かしたが、その勘違いもここから起こっている。
不適切な指導者が居続ける
三権分立を構成する各機関が忖度すると、それぞれが癒着しあい、結果指導者に恣意的に利用されることは前項で述べた。
これは、三権分立以外でも同様のことが起きる。例えば、一般民衆やその他の政治家が、指導者に対して「忖度」してしまえば、やはり指導者が図に乗り出す。先ほど述べた三権分立の崩壊と同様に、「あ、こいつら勝手に従ってきてるわ。ならもっと苦しめてやろう」ということになる。
ここで、「指導者はドSじゃない」とかいう的外れな反論が来そうだが、そもそも民衆のニーズと為政者のニーズは相反するものであるということを忘れてはならない。為政者は民衆を支配したがるわけだから、憲法であるような各権利をどうにかして(例えば憲法を変えようとしたり、対価となる義務がない基本的人権にすら「権利には義務が伴う」などと言ったり)制限しようとするし、自分の私腹を肥やし民衆を逃がさないために重い徴税をする。
このような不適切な指導者が考えることはそれだけではない。例えば、民衆のことを考えてくれる良心的な政治家がいたとする。当然彼らの意見は自身のニーズに反するわけだから、権力を用いて排斥するようにする。例えば、重要な役職に、自身を崇拝する別の閣僚を就かせることで相対的に影響力をなくす、彼らの不祥事だけを目立たせて失脚するようにするなどである。こうすることで、自身の周りにはイエスマンだけを集め、不適切な指導者とその権力を強大にするのである。
そのような権力者はいない?北朝鮮みたいなところだけ?いやいや…。灯台下暗しって言いますよね。もうあなたの近くで起こってますよ。安倍なんかその最たる例です。
指導者近辺の不正が蔓延する
・どこかの省庁の事務次官が大して成績の振るわない息子を医科大学に裏口入学させた
・政権与党の某議員が中国のカジノ企業と癒着した
・首相を崇拝するおっさんが払うべき土地代が異常に安くなった
・首相のお友達が経営する系列の学校だけ開校が早い
・サクラを見る会
ここに挙げただけでも一部に過ぎない自民党の不正。しかもこれは、事態が大きくなってからばれたものばかりである。要するに、事態が公になる前から不正事態は起こっていたということであり、ばれていない不正はその何百倍も存在するといっても過言ではない。
同様に、最近問題となっている証拠が出せない問題だが、これも不都合な書類は記録をわざと取らない、廃棄してもよいとわざと判断してわざと廃棄するのである。
なぜこんなことばかり起こっているのだろうか。これも批判的視点で監視せず、また首相の立場に「忖度」して不正を見逃してきた首相の周りに原因がある。
忖度を強制しだす
これが常態化すると「国家権力側が忖度を要求する」弊害が発生する。本来不正は起きてはならず、それが発生したとき全力で撲滅するのが正義であるのだが、それを見逃されたのに調子乗ったのか、こんどは「不正を黙認することを強制しだす」のである。また、各メディアには放送権はく奪といったことのように、何らかの脅しをかけているのも同じく政権与党である。
この結果、各機関は委縮しだし、情報公開の取りやめや発言内容の変更といった、政権有利なことをしだす。以下はその最たる例である。
中国で、新型コロナウィルス問題を報じたジャーナリストが自身の動画とともに謎の失踪(当局に「消された」との見方が優勢)をした。日本はまだ発信者が消されてはいないものの、発信された情報は消されている。十分な説明のないまま消されていることから、日本政府が何らかの圧力をかけたこと、またこれは、中国と同じく発信者そのものが消されることにつながることは想像に難くない。
…言論弾圧には見えない?自主的にやった?そう見えるだけだ。わかるように言論弾圧をしては世界各国の批判は免れない。相手もプロだ。わからないように、自主的にやったように見せかけるのが戦略ってものだ。
人間一人一人が考えることが大事という話
結局、政治に対し忖度をしてしまえば指導者周りでの不正が加速し、より指導者が独裁的になることを述べた。
それを防ぐにはどうすればよいか。指導者や政治家、特に高位の者をとにかく疑うことである。疑い、批判的に監視し、もしその兆候が見られたら徹底的に追求する。また、「現状維持が最善」だとは思わないことである。現状維持は悪化でしかない。本当に今のままが最善なのか、改善策はどのようなものがあるか、を常に考えることが重要である。