日本社会の疑問を考えるブログ

日本社会で生きづらさを感じるすべての人へ…

日本人と「時間厳守」

 日本人は「時間を厳守する」国民といわれるが、ここでは「時間を守ること」の背景にある様々なことを考えたい。

 

 

自発的に時間を守っているのではない

f:id:fuckjapaneseculture:20200508221240p:plain

 「日本人は時間を厳守する」といわれるが、自発的に厳守しているか疑問である。ここで、仮説として

 

「時間を守らないことによる不利益があるから守る」

 

 ということを考えたい。例えば労働では遅刻すればその分給与が引かれるし、場合によっては昇給などの査定に響く。要するに金が出るから遅刻しない、ということである。

 

 このような物質的なものだけでなく、心理的なものもある。例えば福知山線脱線事故の際、担当運転士は列車の遅延に対する上司の過度な叱責を経験していたとのことである。このような「叱責」は様々なところで起きるため、それが怖いから時間を守る、という人も多いのではないだろうか。

 

 遅刻が本人の責に帰さない場合もなぜか叱責の対象となる。例えば先ほどの運転士の場合だと、乗客同士のくだらない喧嘩など、乗務員の責に帰さない遅延原因がほとんどであるのになぜか担当運転士の責任にされているわけである。

 

 さて、話を変えて、このような不利益がない場合を考えよう。その場合日本人は時間を守るかどうか。例えば街にショッピングに行くとき、いつも「○○時に買えるように、その10分前には店の前にいるようにしよう」などと思うだろうか?福袋セールなど例外はある(これも、時間通りに着けないことによる不利益が動機である)が、そんなことは必ずしも毎回はは思わないし、ましてや実践はしないはずだ。

 

 同様に、自分が相手より権力があるとき(あるいはそう思う、思われているとき)にそうしようと思っているだろうか?これにも例はあり、24時間営業をしているコンビニが「24時間営業辞めます」と言ったらどうするだろうか?中には怒る人もいるはずだ。これも、「店舗が提示した営業時間中に行く」という「時間厳守」を守れていない証拠である。

 

守る時間とそうでない時間がある

 このような話がある。

 

  

 始業時間・就業時間ともにチャイムが鳴ることは同じなのだが、始業時間に遅れたら何らかの叱責が飛んでくる。いや、給与が出ないはずの始業前ですら(もちろん法にも労働契約にもない)ギリギリだからと叱責されることすらある(結果、暗黙の了解で出社時間がずれてしまうことも)。逆に、終業時間については守らないことが推奨され、むしろ守ると逆に叱責されるというよくわからないことが起きている。

 

 時間厳守が社会人として当たり前だというのであれば、そういったところも守るべきであろう。労働者と会社は契約の関係であり、定時が契約された時間なのだからそれ以上拘束することは許されない。いくら「これでも昔より改善された」などと言っても基準を満たしていないのだから論外である。

 

 そのほか、「部下は上司より早く来い(遅く帰れ)」などというのも同様の問題である。「時間厳守」を強制するのであれば、そこには身分や職位による厳守の程度が変わってはならない。

 

時間厳守は幻想でしかない

 結局のところ、日本人の「時間厳守」というのは、以下にまとめられるだけであり、「厳守」とは程遠いものである。

 

・不利益があるから守っているだけ

・都合の良いところだけ守っている

・何をどのくらい守るかなんて権力者次第

 

時間厳守である必要はあるのか?

 そもそも時間厳守である必要はあるのか?労働など「一人ではやりきれないことを誰かにお金を払ってやってもらうこと」なのだから時間厳守である必要はない。遅刻しようが今日のタスクを予定通りに終わらせればそれでOKではないか。