ネトウヨをはじめとした自称愛国者(または、自称・普通の日本人)。ここでは、その悪影響を考え、そうならないための方法を述べたい。
「自称・愛国者」とは
インターネット上なら(たま~に外にも出てくる)どのサイトでもいる、いわゆる「ネトウヨ」などを指す。彼らは、どんなことがあろうとも日本を礼賛している人間のことである。このような特徴がある。
日本の社会問題を頑として認めない
日本であっても何らかの社会問題は存在する。当然それは認めるべきことであるし、改善していかなければならない。しかし、このような自称愛国者は絶対にそれを認めない。聞いてもいないのに他の話を持ち出して論点すり替えをし、外国(特に韓国)を誹謗中傷しだす。航路は山ほどありすぐにでも海外へ行けるにも関わらず、勝手に鎖国したつもりで日本のことしか知らない、いや知ることができない。
彼らの中で重症化しているものは、こういった出所不明の日本礼賛本を読んでは上記のような行為を繰り返し、またこういう愛国ビジネスに金を貢いでいるが搾取されていることに気づかないただのバカだ。
政治を疑えない
政治家は必ずしも国民のためを考えているとは限らず、都合のいいことだけ言っては国民をだましてくるものも存在する。同様に、選挙戦で言っていたことが必ず実現されるとは限らない。さらには国民のためを思っているような、あるいはあたかも国の危機であるかのような泣き言を言って搾取してこようとする政治家も多く存在する。
このような政治家を疑えないのが自称愛国者である。選挙戦で候補者が言っていたことをすっかりと忘れ、またついこの前といっていたことがだいぶ違うのに疑いもせずに信じる。同様に自分の考えもそれに従ってあっさりと変わる。もはや政治家の信者でしかない。
自分は「正義」「現実主義者」と勘違いしている
これを指摘すると、なぜか「現実的にはね…」といって何もしない、あるいは論点すり替えや他国への誹謗中傷をするのが自称愛国者である。
自称愛国者がもたらす悪影響
まず、政治を疑えないのだから「悪い政治家」が出ても信じ続ける。悪い政治家は国民を搾取することしか考えておらず、当然ながらあらゆる財産をむしり取られる。これ以外にも国の横暴により身体的にも被害を受け、最悪国に殺される。
次に、マスメディアが真実を伝えなくなる。日本には社会問題が多くあるが、その現実を受け入れようとせず、またマスメディア自体営利企業であるのだから社会問題を取り挙げなくなる。結局日本礼賛番組のようなくだらない娯楽番組だけになる。
エセ愛国者にならないために
ここでは、自称愛国者にならない、あるいは自称愛国者をやめるための思考・行動指針を考えていく。
自分の得意分野や好きなことを見つける
日本礼賛に走るのも、要するに自分に得意分野がなく自信がないため、日本という(実際は崩壊間際だが)大きくて強く見えるものにすがろうとしているものと思われる。となれば、何らかの得意分野や好きなことを見つけて、「日本にすがらなければいけていけない弱い自分」から抜け出す必要がある。
身近な教養講座や習い事を受けてみる、学術書を読破してみる、哲学する、などで自分を見つめなおしてから趣味及び得意分野を見つけてみよう。
日本にも劣る点があることを認める
当たり前だが、日本には社会問題及び諸外国より劣る点がある。まずはその現実を受け入れることだ。次に、その現実は独立したものとして考える。すなわち、日本の良い点があって、それを取り挙げたとしても、自分の虚栄心が満たされるだけでその社会問題や外国より劣る点は改善しないことを認める。最後に、これをもとに社会問題はどんなものがあるか、その原因はどんなものがあるか、どういったことをすれば改善することができるか考えることができる。
自分がいなくても日本は回ることを認める
「俺は日本のために情報戦をしているんだ!!」「日本のために身を粉にして…」などと考える方がいるが、ほとんど無駄である。極端な話、一人死のうが日本は通常運転である。言い換えると、「自分がいなくても日本は回る」ということである。
一見この事実は、「お前は日本に必要とされていない」ということのみ強調されているが、逆に言えば「嫌になったらすぐに脱出できる」という点である。
補遺・目的語を変えると…
今回は、自称愛国者について取り上げた。しかし、あくまでこれは帰属意識そのものの話であり、主語をたとえば日本→会社、愛国→愛社、脱出→転職などと変えていけば「社畜にならないためのメソッド」に変わる。同様に、適切に目的語を変えていけば、このメソッドはあらゆる組織に対して応用できる。このことは後日記事にするが、要するに
組織の部品として個人がいるのではない。まず個人がいて、何らかの利害関係によって組織と契約しているだけで、利益がなくなった、あるいは組織による害が出てきたときはさっさと見切りをつけて出ていくべき
ということである。